奥多摩古民家合宿を終えてーテキストを読む能力について

回を重ねて慣れたためか、今年の合宿は、ナチュラルな「大成功」だった。
4時半に起床して、午前に6時間以上集中する。
昼食後に川遊び。
15時より学習再開。
17時から焚き火&シャワー順&夕食&太鼓セッション。
20時半消灯。
周囲自然環境の古民家で、学習集中、自然体験、焚き火体験、心情表現活動、そして良い食事摂取。
そして周囲では絶えず環境設定している動きが「創性」のエネルギーを与える。
そこで行われる「教育」とは、授業を行うことではない。テキストを自分で読んで先へ進める環境設定を行うことである。
カタカムナ音読法と抽象構成作文法が習得されれば、その次段階の一つが文章作品を作ることと、テキストを自分で読み進める力を身につけることになる。
学校も、塾も、不登校も関係ない。ただテキストを読んでそれを自分で進めていくことができる者は受験に勝つ。
なぜかと言えば、大学が求める人材とは、テキストを自分で読んで理解することができる者たちであるからである。
テキストを自分で読んで理解し、自分の興味がある研究分野の本を読み、自分の考えを文章化できる者、これは大学が「どうぞ」と言って迎え入れるに決まっている人材である。大学どころか、高校も中学もそうした生徒が欲しい。
Chat-gptが出たとは、文章の機械採点が可能になるということである。そして、そのChat-gptを使いこなすには、テキストを読解してeditする能力が前提になる。
したがって、いよいよAO入試が盛んになるこれからの入試では、その前提となる読み書きの能力と、テキストの読解能力があるかないかが最も重要な視点になる。そして言うまでもなく、こうした力は、1対多の授業形態では伝授することができない力、いやむしろその発達が阻害される危険性がある能力である。
「教科書に書かれていることを読んでわかっちまうんでは授業にならん。そんな奴は学校に来るな!」ということで、不登校でもカンケーないのが、このテキストを自分で読み進めるという能力ということになるわけである。
テキストを自分で読み進める練習には、数学が一番向いていると思う。学校でやっている範囲の先を自分で教科書を読んで、問題集を解いて進んでいく。これにはもちろんテキストの読解能力と、問題集解説文の理解能力が前提となる。
こうして、数学のテキスト、あるいは物理や生物や化学などの横書きのテキストを自分で読んで先に進める者、そうした学習習慣と能力を身につけた者、そうなれれば大学入試はお茶の子さいさいである。
そしてさらに今では、理解が及ばないところや興味の深いところについて、いくらでもYou-tubeなどで調べることができる。
ちなみに、読者は「虚数解がどこにあるか?」の具体的説明を受けたことがあるか?これについてもYou-tubeで見事な映像解説をタダで見ることができる。こうなってくると、テキストを自分で読んで進めることができる者にとっては、学校や塾の授業などちゃんちゃらおかしいことになってしまう。
この「現実」。
そしてそこで揺るぐことなく浮かび上がるのがテキストの読解能力なのである。
政府文科省は学校システムの改革を行うつもりはない。それは彼らがしていることの否定になってしまうから。「支配」や「統制」のための教育ではなくなってしまうから。教師たちも、旧態然としたシステムに苦しみながらも、自分達の「役割」がなくなってしまうような教育改革は望まない。
ゆえに、これからも不登校は圧倒的に増え続け、未来的に無意味でレベルの低い教育が継続することになる。
この国の大人は、本当に子供のことを大切に思ってはいない。子供たちこそが将来この国を牽引するアイデアを出す存在であることを忘れている。
しかし、不登校でも構わない。学校に行っても構わない。するべきことは、自分でテキストを読んで勝手に進める力を身につけることだ。それには前提として高度な日本語の了解と運用の能力の習得が必要であるが、その基礎作りはカタカムナ音読法で充分であることはすでに明らか。おまけに文章も書けるようになってしまう。だからあと大学進学に向けて必要なのは、英語力と数学力とテキストを自分で読んで理解していく能力のみ。おまけに読書だ。
学校なんて関係ない。授業なんていらない。これからは自らテキストを読み進める能力がある者が受験に勝つ。
いやすでにそうなっている。
奥多摩古民家合宿は、21日より後期を行う。

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