少子化の本当の原因は教育

31日  0:54 ☆ 近地点
    10:36 ○ 満月
しかもここから約3週間、火星は反対側にあるが、水星金星地球とほぼ直列する。
おまけに木星土星も地球に近いところにある。太陽系惑星が固まっている宇宙現象。
暑さばかりに気を取られるが、この複雑で重いWAVEはそのためなのか。
当たり前だが、何かが起こる。
昨夜の月は大きかった。ほぼ満月前のそれは、今年見た月で一番大きく見えた。
今日は、そろそろ夏休み尽きたか、3週間ぶりで事務所での仕事がない。
つまり炎天下外へ出て自転車で走る必要がない。
そこでこの波動を利用して本当の「冗談」を書こうと思う。

1969年、拡大した東大紛争の中で、入学試験が中止となった。
これは前代未聞の「決定」だった。
会場を変えて実施することも可能だったはずだがあえて「中止」を選択した。
左翼運動のために努力してきた者が犠牲になるというニュアンス。
もちろん実は、「犠牲」を作ったのは大学の「決定」である。
国家のための優秀な官僚や人材を育成することが目的の国立大学が、左翼学生運動の巣となり、しかもそのトップの東大で盛んになる。
政権にあるものとしてもこれは許されるべき事態ではない。
支配国からも「教書」で「なんとかしろ」と言ってくる。
どうしたら学生が左翼化しないか?
どうしたら学生がマルクスなどの著作を読まないようにできるか?
政府は、この絶体絶命の危機に直面して、あるいは危機の火種になるものを除こうとして、あらん限りの知恵を絞ったことだろう。
私はその結果政策の一つが、「共通一次試験」の導入決定だったと思う。
マークシート方式を採用したこの統一試験は、やがて「センター試験」と名を変え、その結果終わることのない役所が生み出された。
その役所は駒場のコンピュータを使って全国の18歳受験者の能力や傾向をデータ化したことだろう。
なぜ、統一型の試験をマークシートで行うことになったのか。それは採点と集計をたちどころに終わらせるためである。
しかし、その前に、「前提」がある。
記述解答ではないマーク試験は、全て選択肢を選ぶ試験になる。
穴埋め選択肢に強くなるには、知識量を多くする必要があり、そのためには多くの時間を暗記に費やすことになる。
文章選択肢を取るためには細かいレトリックの読み分けの練習が必要である。
これらは両者とも、人間にとって大切な発想力を弱体化する。
しかも、国立大学を志望すれば、その上で記述解答型2次試験のための勉強も必要になる。
また、私立大学を併願すればその対処もしなければならない。
必然的に生徒たちの必要学習時間はさらに長くなる。
本を読んだり友達と語り合ったりしている暇がない。
難関大学入試はさらに難しくなる。
高校だけの勉強では間に合わない。
中高一貫校でなければ東大に入るのが難しい。
だから進学塾に通う。
それでも負けないようにするためにさらに低学年から通うようになる。
小学校からはともかく、中学校からは一貫校に通うことを選択する家庭が多くなれば、当然公立中学校はそれを選択できなかった者の集団となり、それまでのやり方ではまとめて授業ができなくなる。
さらに少子化が進んで一人っ子も多くなった。世は計画出産の時代である。
兄弟による軋轢の経験がない中で小学校に入学した子どもたちを、箱に入れ、席につかせ、よそ見やおしゃべりをさせないで、じっと先生の話を聞くように躾ける?そんなことは鉄拳制裁や電気ショックでもない限り矯正不能なことは分かりきったことである。それどころか、そのストレス感によるいじめが頻発するようになった。
学校が愉しくない。それどころかそこにいるのが苦しい。
不登校になる子どもたちが出る。
彼らの多くはゲーム漬けになる。
不登校になると特に働く親が困るから、新たな預け場所としてフリースクールを求めるが、フリースクールは本来国からの援助なしにはやっていけないほど経営が困難であるから、そう授業料が安くない。インターナショナルスクールに通えば年間200万円以上の出費が必要になるから、これを選べるのは私立の学校に通わせる以上のお金持ちということになる。ましてや海外の学校を選択すれば、庶民には絶対払えない金額が必要となる。
結婚する者は考える。
―やっぱり結婚した以上、一人くらいは子どもが欲しい。しかし、幼稚園や保育所にもお金がかかるし、それになんと言っても自分たちが受けた学校教育が不満足なものだったから、さらに質の劣化が言われる公教育に通えば「不登校」になる可能性もある。かと言ってそれ以外の道を選択するとなると、よほどの収入があるか、自分のやりたいことを我慢して身を削ってその金を捻出するしかない。そんなことは無理だ。いや嫌だ。自分がなんのために生きているのかわからなくなってしまう。子どもが自然に育っていく仕組みがないならわざわざ子どもを作って苦労するよりその時間とお金を自分の好きなことに使った方が良い。それにすでに結婚している者からすれば、それが「控除」を言い訳に確実に税を取り続けるためのシステムであることもわかる。子どもはその「人質」であり、またやがてこの国のために税を納める存在である。その子どもに国が良い教育を用意しようとしない。やめよう。少なくとも教育の未来が明るさを見せるまで子どもを作ることを控えることが賢明である。
まともな人ならこう考えて判断するのが当たり前ではないか。
未来社会を形成し、自分たちの能力と発想で自分たちの人生を切り開いていき、それが結果的に国家のためになり、税収をもたらす子どもたちに、たとえかように彼らの多くが苦しんでも、全くその判断と解決案を持たない教育政策を容認している国家のためにわざわざ子孫を作る必要はないし、そのための結婚もする必要もない。
こう考える人が多くなるのは当然のことだと思う。
教育をよくしない限り、少子化に歯止めは立たない。
気が付かない人は別であるが、この件については背後にもっと大きな「暗闇」があろう。
以上、本格的に「冗談」で書いた。

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