「ウナギ」と「タナゴ」のハナシの展開

なぜこのブログを書くのかーそれはおそらく制約なしに思いのままに書くことが楽しい、いやオモロいからであろう。
「オモロい」には、「旅」同様、どこかに予期せぬことが起こりうるという可能性が潜在していなければならない。
すると、オモロい文章を書くとは、予期せぬことが起こりうる可能性の追求をその要素に持つと言うことになるのか。
この一週間で予期せぬアクセスに二つ遭遇した。いずれもHP管理者から転送されてきたものである。
長らくお読みの方にはご記憶があるかもしれないが、昨年の夏に、「魚突き男」との話から、『鰻捕り名人ドン達哉ムチャチョの話』なるものを連載した。これは98年に熊野は玉置山で知り合った男に案内されて天然鰻を捕まえて鰻丼を食べる話であったが、その男、「ムチャチョ」は生活芸術家で彫刻家だった。奥さんの澤裕美さんも画家で、彼らは娘さん二人と熊野に移住してそこで生活していたのである。
この澤裕美さんからのメールが転送されて来た。読むと、30年間生活した熊野から岡山県の美作市に移っているとのこと。今回ご主人のムチャチョ氏が自分のことを検索してこのブログの文章を発見したとのことで、「岡山に来る際には是非お寄りください」とあった。美作は鳥取へ行く際の通り道なので、年内には再会できると思う。これは密かにひょっとしたらムチャチョに再会するきっかけになるかもと思って書いたものだったのでその「成就」がうれしかった。
もう一つは、もっと前の1970年代のことなのであるが、今年の初めに連載した『私の魚遍歴』に関してで、昔富澤進平師に学んでその後長らく消息が途絶えた人が、同じく「弟子」の友人の一人が検索するうちに私のブログに辿り着いて連絡してきたとのこと。すぐに、区の福祉施設に収容されている師の「現状」を伝え、区役所の窓口の人の名をお伝えした。そのお返事で「お会いして話したい」とのことなので、この人たちとも近々お会いすることになろう。
なんのこともないことなのかもしれないが、なぜか不思議な喜びが込み上げてくるのを禁じ得ない。書いたことを読んだ人が、仕事上ではなく、個人的な要件で会おうと言ってくる。
なぜうれしいかーそれはそれがオモロいことにつながる可能性が高いことだからである。つまり、そこで意義深い「情報」を得る可能性が高いからである。そしてそれが次の「糧」になるからである。
いささか力及ばずながら、オモロいことの追求のために書くことが、もっとオモロいこととの遭遇を体験することに繋がるのであれば、それは嬉しいことでないわけがない。
「追体験」の連続、「旅」をしているような気になる。
ともあれとても元気づけられた。

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