奥多摩合宿ー9

SFC環境情報生のHは、9月から出版社の営業拡大活動にインターンとして参加するという。
彼の母親は、「あなたも人をダマす側に行くのね」と言ったという。
でも彼は、「資本主義社会だからしょうがないことだ」と、やや残念そうに言う。
以前に東大を経て大手広告代理店に勤めたがこれを2年で退職し、出版社に転職した元生徒がいたが、過酷な労働に疲れ果てた彼曰く、「僕はもう自分が作りたいと思うものしか作りたくないのです」。
SFCでは安宅教授が、「日本人の平均的数学能力は小学校の4年生ぐらいのレベルであることはデータが示している。だから断然諸君たちの勝ちである」と言い放って、生徒たちの大喝采を受けたと言う。
彼らは東大生などと同様、あまりに世間が「アホ」なことを知り、それをどうしようもない「現実」であると認識する。つまり、自分を選ばれた者=エリートと認識せざるを得なくなる。
受験競争に勝って高学歴を手にした者たちは、どうして自分が優秀者として育つことができたのか明らかにしようとはしない。なぜ自分が優秀になれたのかは秘匿する。あるいは自分でもなぜ偶然「優秀」になれたのかよくわかっていない。
ともあれ世の中には、彼らから見ると明らかに「アホ」と思われる人たちに満ちている。これは、テレビ番組やCMにもオリンピックにも、選挙にも政治にもその他あらゆる局面で確認できることだと考える。
「アホ」な人たちを相手にする場合、これを思いのままにコントロールする、あるいはダマすことが仕事になる。よく見回してみればなんだってそうだ。そうなのだ。ここは資本主義社会なのだ。ルアーを投げて、網を投げて、どうせ他の誰かに獲られるに決まっているボーッとしている「魚」をこちらが先に獲る。新商品やサービスや娯楽製品を開発し、人件費生産費用を最低限に抑え、CMを活用してできるだけ高く売る。それにはその「対象」が必要だ。何しろ相手は宗教団体に騙されて大金を寄付したりする、オレオレ詐欺に引っかかるボケ老人同様の知能レベルだ。「カモ」としか言いようがないが、「お客さま」とか「国民の皆さま」とお呼び申し上げることにする。何しろ資本主義では「魚」が油断して、喜んで、信じて、ルアーに食いついてくれなければ話にならない。とにかく、「ウンコ」であろうが「タニタ」であろうが、売れたものの勝ち。
良いものを作ろうとするのではない。売れるものを作ることを目的にする。そのためにはする側が小っ恥ずかしくなるようなCMや広告を作らざるを得ない。そしてそれは、相手を「アホ」と見做さなければ制作できない。
一流企業も、新聞社も、テレビ局も皆同じ。上級国家公務員も皆同じ。彼ら高学歴者たちの多くは、国民が「アホ」であることを前提にして仕事をしている。と言うことはつまり、為政者同様、国民ができるだけ賢くならないことを暗黙のうちに願望していることになる。
私はこれが教育の問題が改善されない根本の理由だと思う。
「優秀」な者のほとんどは、自分がなぜそうなったのかを秘密にする。よく努力した人間であるように見せかける。
しかし、「教育」とはその理由を明らかにし、その「下」の者たちにそのアタマのハタラキの育成の仕方を教えることなのではないのか。
今、その「優秀者」たちは、自分の子どもを日本の公立教育機関に通わせない。私立の学校に入れる。フリースクールに入れる。インターナショナルスクールに入れる。それどころか資金に余裕のある人たちは、どんどん海外の学校に留学させる。カナダ、シンガポール、マレーシア、イギリス、オランダ、デンマーク・・・・・。彼らは日本の学校教育が「無意味」なこと、それを利用しても子どものアタマが決して良くはならない、むしろ悪くする可能性があることを見抜いてしまっているのである。このことについて、もちろん自分の子どももそのように扱っているメディアも公にしない。賢い者は、自分が賢くなった理由を、そのアタマのハタラキを自分の子どもにしか教えないのである。そしてそれは極めて資本主義的な認識からそう結論しているのである。
当然の如く、このブログは暑さでアタマがオカしくなったために「冗談」で書かれている。

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