八十八夜ー教育環境設定

八十八夜。
夕方東空に膨らみ始めた十三夜月。
90㎝水槽と水槽台到着、組み立て。
「個室」読書環境完全整備。
電気薪ストーブ順調。
瓢箪スピーカー極めて好調優音。
室内植物おおよそOK。
縁台植物ベランダにメダカ池水槽設置。
金木犀剪定、挿し木。
榊、オリーブ、月桂樹、それにアマゾンオリーブ。
あとはもう一本のオリーブと椿。
室内水槽用のレンガ類購入。
ガーデンチェア。
ガーデンテーブル。

どのような場合にも子どもが選択することができる最良の教育環境空間を設定すること。
同一空間内に、ありとあらゆる子どもの「居場所」の設定の可能性を追求する。

もしも子どものアタマを良くしたいと願うなら、まずするべきことはその子どもの教育環境の設定であることは疑いない。
動物を良く育てるなら、植物を良く育てるなら、するべきことはその成長のための環境設定である。
良い食事、良い運動、良い頭脳活動、そして良い実際体験。
「個人」の個人なりの好奇心による良好発現とその「持続」。
それは、より良い教育環境設定下に偶然的必然的に起こる。
いや、その「可能性」が高まる。
だがそれには、「居場所」の「拡大」が前提になる。

「これまで」のアタマの使い方を履修するので本当に良いのか。
それよりも、「そのとき」の新たな具体的体験認識と「定着」の集積こそが、「未来的に」重要なのではないのか。
―内発的発現
「エネルギー」の映像化、「具体化」。
でもそれには偶然の自分が選んだ「居場所」の存在が必要である。

「啓示」とは、環境内における自発的感受による反応である。
「ジャンプ」するかどうかは、「知性」ではなく、「感性」によって決定・実行される。
そこには、さまざまな「体験」と「感受」の可能性がある。
そして、その時の、「それ以外の」存在可能性があることを忘却してはならない。
しかし、そのことを「認識」するには、「覚醒」が「前提」になる。
このどちらをも忘れようとはしないと決意する人たちは、「境涯」における「追体験の旅人」となろう。

「エネルギー」とは、他ならぬ我々が環境から感受して我々の内部にあるものなのである。
そしてその実質は、「意識」=「認識」である。
「感受」と「体験」の最大限の可能性の「居場所」。
それを日常生活に作らんとするのが「教育環境設定」である。
このことを了解した親の子どもは幸運である。
教育は、実は家庭環境内にある。
このことは覆らない。

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