「教育」と「洗脳」について

外では、ポタポタと音を立てて雪が溶け続けている。
今日は建国記念日であるが、これが「紀元節」、つまり神武天皇の即位日にちなんだ休日であることは知らない人も多いことだろう。したがって、本日は全国で密かに「祭り」がとり行われていることが感触される。
1945年に第二次大戦が終わると、日本人の多くは自分たちが「洗脳」されていたことに気づいた。『教育勅語』によって、皇祖皇運のために「義勇公に奉す」ことを子どものうちから叩き込まれ、召集令状がくれば、喜んでこれに応ずるように教育されていたことを知った。日本は天皇に率いられる「神州」で敗れることはないと信じこまされたがそれは嘘だった。長野県は戦没者数の多い県だが、戦争と何の関係もないのどかな長野の山の中で畑を耕していると突然国から「召集令状」が届き、すぐに召集され、南方に送られ、何人もの兄弟が帰って来ない。ないしは骨になって帰ってくる。今の母親だったらなんて思うか。こんな信じられないことが当たり前に行われた。そして敗戦した。こうした結果、戦後は左翼運動が活発になり、それは60年代の学生運動に結びついた。
60年代の学生運動は、単に左翼的であると言うよりも、大学というところでしつこく行われていた戦前的な古いやり方をぶっ壊そうとする動きであったとも言える。
敗戦後の教育は、GHQやアメリカの政策で、男女同席、アメリカ型教育カリキュラムなどが取り入れられて大きく変わったが、どういうわけか、日の丸、君が代、気をつけ、起・立・礼着席、体育教練などはそのまま残された。
真面目に全体のことをよく考えて勤勉に行動する。時間を守る。指示・命令に従う。単純作業連続を厭わない。このことに重きを置いた教育は、戦後復興、高度成長をもたらす労働力の原動力となった。
多くの反発を内在しながらも沈静化された共産主義的学生運動は、経済界と資本主義政党の力による経済的繁栄の実現により、多くの国民の間では「誤ったもの」であったことになった。GNPは1950年時点の100倍以上になり、誰でも洗濯機、テレビ、冷蔵庫、クーラー、ガス台、給油機、自宅風呂、そして自動車を持つことができるようになった。「左翼」は新たな差別語になった。子どもたちは、6歳になると小学校に入学し、40人クラスで、時間通りに登下校し、「起立礼着席」を行い、自分の思うように勝手には動かず、先生の言うことをよく聞き、きちんとノートを取り、宿題を確実に出すことをそれまでと変わらずに要求され続けた。しかも「成績」のために塾に通うことも求められた。塾でも、言うことを理解して暗記してテストで高得点すること、あるいは解き方を習ってその通りに解くことを学ばなければならなかった。言うまでもなく、これは自由に発想する能力の発達を阻害する。「捨象」させる。その「芽」を摘まさせる。これは何のためであったか。
ところが、1980年代末尾ごろから「バブル崩壊」が起こり、その後経済成長が低迷し続ける状態になった。また、生活費高騰のため、子どもを作る数が減って、「少子化社会」になった。少子化社会の子どもたちは、一人で自分のやりたいことだけをして成長し、しかも幼稚園教育も自主性を尊重する面が強いから、小学校に入学して「クラス」単位の、主体性を捨てた全体活動にはついていけない子が出る。これが「不登校」の根幹にある「原因」だと思う。少子化社会の子どもたちに合った教育ではない、自分のやりたいようにはできない、既存のものと姿を変えない教育であったが、ここでなされたことは、言う通りにできないことがオカしいから、WISCテストなどで、ADHD、アスペルガーなどの「判定」を行い、通級、特別支援学級などに、「隔離」することだった。じゃあいっそのこと、全部特別支援学級にしてしまった方が話が早いではないかとも思ってしまうが、その発想はない。これまでやり続けたことはやめられない。なぜか。それはそれが正しいと信じ込まされているから。文科省も、教師たちも、親たちも、自分たちが受けたのと同じそうした教育が正しいと「洗脳」されているから。洗脳されている人たちは、自分が「洗脳」されているとは気づかない。思えない。「宗教」と同じである。
もう一つ考えなければならない。ちょうど我が国で「バブル崩壊」頃、合衆国西岸のカルフォルニアで「IT革命」が始まり、これは、我が国トップ層がもたついているうちに、まるでコロナのようにあっという間にものすごい勢いで世界中に広がって、ご存じ現在の我々の生活の主要部分を担うことになった。携帯電話、ノートパソコン、スマホ。これらは単なる「機械」ではない。あっという間につながりたい人と連絡をとり、知りたい情報を得、欲しいものを手に入れ、そして自らネット発信することを可能にする「未来機器」である。「グーグル・クローム様」は、世界で信者数の最も多い「神様」になった。誰だってパソコンを開けば、この「神様」によって情報をもたらされる。だいいちこの文だってこうしてパソコンを使って書いているのだからどうしようもない。
一方、利益を追求する産業界は、自分ですることを思いつけなく育った子どもたちをターゲットに、これでもかと娯楽用品を作製提供し続ける。脳内ホルモンの研究成果まで取り入れると言うのであるから最強の「ルアー」。やれば引っかからない子どもはいない。そしてついにはオンランゲームが出現する。
スマホとゲーム使用。この膨大なる非体験的な情報摂取が過剰に行われ続けられれば、他の体験的ではない知識、つまり多くは学校勉強的知識は、次々と下流に流されて見えなくなってしまうものとなり、学校で行われる洗脳的学習とますます相容れない状態になってしまう。まさしく「洗脳」が行われる。
子どもたちが未来社会を支えてくれるのではないのか。その子どもたちに、政府はまともな教育を提供しようとせず、末期的な資本主義産業は、子どものアタマをパーにする製品を作り続けても許される。
利益があることが第一義の資本主義的活動の最北に、子どものアタマをパーにする娯楽商品があり、またその逆側に老人から金を巻き上げるオレオレ詐欺があると想うと、そこにこれからの未来から振り返って見た時に、ああそーだったのかと気づく「洗脳」があったことを思い知ることになるのか。
「洗脳」を知らないことの方が「幸せか」。
「洗脳」に気がついてしまうことの方が「幸福」か。
しかし、それがそうだったと知れる「未来」は確実にやってくる。
ともあれ、「教育」とは、「洗脳」そのものであることを忘れてはならない。
以上、当然のごとく「冗談」で書いた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?