いのちの祭りー10ー長沢哲夫『部族宣言』

「部族」については、画家の山田塊也(2010没)のHP『ヒッピームーブメント史 in ヤポネシア』や、上野圭一/塩澤幸登『全記録 諏訪之瀬第四世界』(河出書房新社)や、槇田但人編の『NO NUKES ONE LOVE』(プラサード書店)に詳しいが、新宿出身の詩人長沢哲夫(1942〜)が、新宿や国分寺、中央線沿線のコミューンで知り合った、詩人のナナオサカキや画家で文筆家の山田塊也や作家の山尾三省や詩人で音楽家の内田ボブらと共に1967年に『部族新聞』創刊した。その創刊号に書いた長沢の『部族宣言』は以下のような内容である。

部族宣言

ぼくらは宣言しよう。この国家社会という殻のうちにぼくらは、いま一つの、国家とは全く異なった相を支えとした社会を形作りつつある、と。統治する、あるいは統治されるいかなる個人も機関もない、いや「統治」という言葉すら何のようもなさない社会、土から生まれ、土の上に何を建てるわけでもなく、ただ土と共に在り、土に帰っていく社会、魂の呼吸そのものである愛と自由と知恵による一人一人の結びつきが支えている社会を、ぼくらは部族社会と呼ぶ。
<中略>
都会に或いは山の中に農村に海辺に島に。やがて、少なくともこの数十年内に、全世界にわたる部族連合も結成され、僕らは国家の消え去るべき運命を見守るだろう。ぼくらは今一つの道、人類が巣に至る道ではなく、生き残るべき道を作りつつあるのだ。
<後略>

もう50年以上前に書かれたこれは、今となっては学生運動で国家権力に屈した後の、政治的な共産主義活動に離別し、新しい生き方を追求するロマンティシズムとも呼べる思想だったとも言う人もあるかもしれない。

この国家社会という殻のうちにぼくらは、いま一つの、国家とは全く異なった相を支えとした社会を形作りつつある>これは共産党的というよりもある意味創価学会的コミューン形成の発想である。

統治する、あるいは統治されるいかなる個人も機関もない>これはいうまでもなくアナキズムである。

土から生まれ、土の上に何を建てるわけでもなく、ただ土と共に在り、土に帰っていく社会>これは縄文的老荘思想的自然回帰的思想である。

<愛と自由と知恵による一人一人の結びつきが支えている社会>いうまでもなくこれは「仏教的」というよりも「フリーメーソン的」である。

これらをまとめると、アナキズムと自然崇拝思想を柱にした博愛主義的コミューンの思想ということになろうか。
長澤は、60年代に夫婦で諏訪之瀬島に移住し、そのまま50年以上島での生活し続けている。これはビートニックを顕現させて放浪生活を続けたナナオサカキとはまた別の、自己思想を徹底して実践した人物の生き方だと言えると思う。

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