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Youtubeで公開されている競馬の名勝負ピックアップ!

どうも、ウマ娘から競馬にどっぷりハマった石田橅です!
今回はYoutube上で公開されている競馬のレース映像の中でも、感動できるレース、息をのむような接戦、誰をも魅了する快進撃を見せたような歴史的名勝負を、独断と偏見に基づいてピックアップします!なお順位付けはせずに、カテゴリー別と言う形で紹介させていただきます。
※基本的にはJRA(日本中央競馬会)及びNRA(地方競馬全国協会)公式、カンテレ(関西テレビ)競馬公式チャンネルの動画に絞ります。ただし、個人の方が投稿された動画でしか見られないレースや実況がある場合は注釈付きで掲載させていただきます。

じっくり味わうために必要なのは「予備知識」

競馬は単純にサラブレッドの速さを競うレースです。ですが「その馬が出走した背景」「その馬が持つ血統」「騎手の想い」「騎手の直近の成績」「ライバル同士の馬がいるか」「当時の競馬界の動向」といった、レースのバックボーンを詳しく把握することで、レース結果に対して深い感動や衝撃を覚えることに繋がります。今回は各レースごとに
・どの馬がどんなふうに凄いのか
・なんで実況はそんな言い回しをしたのか
等を簡潔にお伝えできればと思います!


☆これを覚えておくと分かりやすい☆

競馬を全く知らない方向けに、これから紹介するレースで私が度々言及する「馬の偉大さを示すワード」をいくつか紹介します。

ダービー馬
「日本ダービー」を勝利した馬。日本ダービーは選りすぐりの3歳馬だけが出走できるいわば「競馬の祭典」で、勝利馬は「世代の頂点」と呼ばれる。日本でトップクラスに格式の高い競走。基本牡馬(ぼば:♂)しか出走しない。

三冠馬
選ばれた3歳馬だけが出走できる「皐月賞・日本ダービー・菊花賞」、または3歳の牝馬(ひんば:♀)だけが出走できる「桜花賞・オークス・秋華賞(エリザベス女王杯)」を全て勝った馬。戦後では牡馬が8頭のみ、牝馬は6頭のみ達成。(ちなみに競走馬は同世代が毎年8000頭前後いると言われている。)

G1
日本国内で開催されるレースの中で最も高いステータスを誇るレース。1勝できれば万々歳。勝てない馬の方が圧倒的大多数。上述のレースは全てG1。三冠馬とは、そんなG1レースを何度も勝利する十数年に一度の奇跡。

重賞競走
日本国内で開催されるレースの中で比較的高いステータスにあるレース。G3、G2、G1の順に格が上がる。G1どころか重賞を勝つこと自体、相当の難関とされている。

地方馬
地方競馬で走る馬。JRA開催レース及び所属馬は「中央」と呼称され、基本的に地方馬は中央馬に勝てない存在とされている。ごく稀に地方↔中央を移籍する馬や競馬業界関係者がいる。


【熱い大接戦!】

2008年 天皇賞・秋(GⅠウオッカ

『ウオッカ』『ダイワスカーレット』は、このレースで順に1番人気・2番人気に推された牝馬です。競馬界はつい十数年前まで「牝馬は牡馬に劣る」という認識がありました。そんな中ウオッカは牝馬として64年ぶりに日本ダービー(2007)を勝利、ダイワスカーレットは牝馬として37年ぶりに有馬記念(G1)を勝利したという実績の持ち主であり、牡馬より強い牝馬として競馬界を席巻しました。このレースはそんな牝馬同士の直接対決です。また同じレースには…
●2008年のダービー馬ディープスカイ
●2009年の天皇賞秋で勝利したカンパニー
●2009年の宝塚記念・有馬記念で勝利したドリームジャーニー
といった競馬界の威信をかけた豪華メンバーが揃っています。
大接戦ドゴーン!!

1996 阪神大賞典(GⅡナリタブライアン

『ナリタブライアン』は戦後5頭目の三冠馬です。G1を通算5勝した名馬で、JRAが主催した「20世紀の名馬」ランキングでは堂々の第一位に選出されました。
ナリタブライアンは94年の三冠と有馬勝利、95年阪神大賞典(G2)勝利後の春シーズンに関節炎を患い、そこからまるっきり力を失ってしまいました。そんなブライアンの復活をかけた96年の阪神大賞典、最大のライバルとなったのは『マヤノトップガン』。95年の菊花賞と有馬記念を勝利、最終的にG1を通算4勝した新世代のチャンピオンです。
王者復権か、主役交代か。双方の世代の威信をかけた大一番は、G2とは思えない盛り上がりを見せました。

なおこちらは個人の方がアップロードされた、同じレースの動画です。KBSの宮本アナウンサーという方が実況しており、場内の雰囲気とレースの高揚感を見事なフレーズで表現している、魂の名実況です。

2012 ジャパンカップ(GⅠ | ジェンティルドンナ

戦後7頭目の三冠牡馬『オルフェーヴル』と戦後4頭目の三冠牝馬『ジェンティルドンナ』の直接対決です。ジェンティルドンナは引退までに海外戦績を含めG1を7勝、オルフェーヴルは6勝したという歴史的名馬の2頭立て。ジェンティルドンナはこのレースで最終的に勝利し、3歳牝馬というカテゴリーでは初のジャパンカップ勝利という大記録を打ち立てました。僅かな差で負けたオルフェーヴルも三冠達成の年に有馬記念を勝利しており、このレースは世代の頂点同士の衝突という観点で「世紀の一戦」と言っても過言ではないでしょう。
カンテレ版の実況は正直クオリティが残念。名勝負なだけに

1989年 マイルチャンピオンシップ(GⅠオグリキャップ

G1出走まで17戦もの非重賞=一般競争で勝ち負けを繰り返し、10番人気で迎えた初めての安田記念(G1)で1着を飾るという大番狂わせを披露した『バンブーメモリー』と、地方の笠松競馬出身ながら中央競馬に引き抜かれ、引退までに中央G1を3勝した稀代のアイドルホース『オグリキャップ』によるマッチレースです。両者ともにデビューからしばらくは強いレースとは無縁だったために、這い上がるような形で大レースを賑わせたという構図が多くの人の琴線に触れたことでしょう。
鞍上(騎乗している騎手)は、71年に初騎乗を果たすも87年まで目立った勝利に恵まれなかった南井克己(オグリキャップ)、87年に初騎乗を果たしてその僅か翌年にG1勝利を納めた武豊(バンブーメモリー)。3年目の若者に負けるわけにはいかない南井騎手と、前代未聞の快進撃を見せる若き天才の大一番。人馬共に『負けられない』想いが非常に強い、執念の名勝負です。

1989年 毎日王冠(GⅡオグリキャップ

公式メディアによる配信は無いものの、知らなきゃ損するレベルの歴史的な名レースがあるので紹介させていただきます。
先述の『オグリキャップ』と、地方の大井競馬でデビュー後にその圧倒的な強さから中央へ移籍した『イナリワン』による、互いに妨害もトリックもない正真正銘全力勝負の一騎打ちになります。イナリワンは当時中央移籍後4戦目にして、すでにG12という快挙を成し遂げていました。一方のオグリも、88年の有馬記念・89年産経賞オールカマー(G3)と重賞連勝の最中にあり、地方上がり同士による中央での大激突は多くの人の心を鷲掴みにしたことでしょう。

2000年 日本ダービー(GⅠアグネスフライト

生涯一度の「競馬の祭典」でしのぎを削ったのは、皐月賞馬で後に菊花賞を勝利し二冠馬となる『エアシャカール』と、クラシック年までデビューすることが叶わず皐月賞は出走権さえ得られなかった『アグネスフライト』。鞍上は98年ダービー初勝利から99年の史上初連覇達成と続き、前人未到のダービー3連覇を狙った当時31歳の武豊(エアシャカール)、過去16回ダービーに参戦するも勝利が叶わなかった45歳の河内洋(アグネスフライト)です。武騎手と河内騎手は、共に同じ調教師(競走馬一頭一頭の管理・トレーニングをする人)に面倒を見てもらった兄弟弟子の関係(河内騎手が兄方)にあり、74年に騎手デビューした河内騎手は87年デビューの武騎手に対し、ジョッキーとしてのイロハを教育したそうです。そんな親密な関係の二人が、ダービーという大舞台で激戦を繰り広げることになりました。

個人の方が投稿された動画になりますが、同レースの実況といえば個人的には競馬実況の名手である三宅正治アナウンサーの方を思い浮かべます。他のレースでも名フレーズを残している三宅アナの実況の中でも、群を抜いて感動的かつ情熱的なセリフが、競馬の祭典に花を添えています。
三宅さん今からでも競馬実況に帰ってきてくれませんかね


【大記録樹立!歴史に"蹄跡"を残したレース!】

1999年 フェブラリーステークス(GⅠメイセイオペラ

主人公は、東北からやって来た栗毛の英雄こと『メイセイオペラ』。所属は地方の岩手(水沢)競馬でした。地方馬としてはトップクラスの素質と戦績を兼ね備えており、「地方馬だが中央に行っても勝てるのでは」という陣営の想いから、中央のダートG1フェブラリーステークスへ参戦します。
基本的に馬の強さと言うのは圧倒的に地方<<<中央、競馬関係者の中には「無茶な挑戦じゃないか」という声もあったそうです。民放の実況中継に至っては、解説者が分かりやすく実力を舐めているようなコメントを残すほどでした。そんな逆風の中で掴み取った称号は「地方競馬に所属しながら中央G1を制覇した唯一の馬」。
2022年現在でも、彼に続いた地方馬は現れていません。

個人が投稿された動画です。下馬評を覆した歴史的激走を目の当たりにし、過小評価していた解説陣は唖然としています。

少々余談ですが、メイセイオペラはJRAのG1馬紹介とG1レース宣伝を兼ねたブランドCM「The Legend」シリーズの第一号としてピックアップされています。公開はされたの2013年であり、いくら長い時間が経とうと語り継がれるであろう偉業を成し遂げました。

2005年 菊花賞(GⅠディープインパクト

「英雄」「日本近代競馬の結晶」といった偉大な二つ名と共に語られる名馬『ディープインパクト』。そのディープが三冠を達成したレースです。三冠牡馬はディープ以前にも5頭存在しましたが、何といっても「無敗の牡馬三冠達成」というサラブレッドとして最高峰の記録を残したことが、この菊花賞勝利の醍醐味です。無敗というのは、新馬戦~重賞~三冠達成まで一度も負ける事が無かったことを意味します。これを成し遂げた馬は2022年現在牡馬牝馬合わせてもたったの4頭です。第一号は84年のシンボリルドルフであり、ディープは実に21年ぶりに登場した最強馬ということになりました。また、あまりの人気ぶりから最終的には単勝1.0を記録。つまり「ディープが勝つだろう」と100円賭けて、ディープが勝ったら100円しか戻ってこない、ギャンブルが成立しないある意味貴重なレースでもありました。
競馬とは(哲学)

2007年 日本ダービー(GⅠウオッカ

既に大接戦編で取り上げた『ウオッカ』の日本ダービー制覇は、戦後日本競馬でも一二を争うレベルの大偉業です。そもそもダービーに牝馬が出走すること自体が極めて稀で、ウオッカの参戦による牝馬の出走も11年ぶりの出来事でした。メイセイオペラが「中央で勝つなんて無理だ」と言われていたように、ウオッカのダービー参戦は陣営以外の関係者から相当批判されたと言われています。なにしろ牝馬のクラシック初戦桜花賞(G1)では、後に天皇賞秋を含め何度も衝突することになるダイワスカーレットに敗北していました。「牝馬に負けた牝馬が牡馬に、よりによってダービーに勝つなんて」ーーー。更に、その後ダイワスカーレットは体調不良によりクラシック2戦目のオークスに参加することを諦めたため、「ウオッカはオークスに出れば勝てる器だから無謀な選択をするな!」とまで言われていたとか。
結果的にダービーは「64年ぶりの夢かなう!」の叫びに乗せられ、更にJRA博物館への訪問を兼ねて観戦されていた当時の皇太子徳人親王と、安倍晋三内閣総理大臣・安倍昭恵夫人も見守る中でウオッカが勝利。1943年以来の快挙となりました。

2020年 天皇賞・秋(GⅠアーモンドアイ

アーモンドアイ』は2018年に三冠を成し遂げた牝馬です。通算G1勝利数は歴代最多の9。総獲得賞金は日本調教馬として初めて19億円を超えた史上最強の名牝です。そんなアーモンドアイは4年のキャリアの中で数多くの記録を樹立しました。
●史上5頭目の牝馬三冠達成
●史上2頭目のジャパンカップ2勝
●既存の芝コース2400m走破タイムの世界記録を1,5秒更新
●朝日新聞社が贈る「朝日スポーツ賞(スポーツ界全体で権威のある賞)」を、競馬関係者としては武豊に続いて受賞
これだけでもお腹いっぱいですね。しかしこれらをも凌ぐような大偉業を達成したのが、2020年の天皇賞秋になります。

ここで一度、下記のページをご覧ください。記録の残っているサラブレッドの戦績がG1勝利数毎に掲載されています。

アーモンドアイの次点には、G1を7勝した馬が並んでいますね。8勝馬はいません。実は、アーモンドアイの登場まで「GⅠ7勝の呪い」というジンクスが潜んでいると考えられていました。というのも、初代無敗の三冠馬『シンボリルドルフ』は、G1勝利数を7まで伸ばしたところでターフを去りました。それ以降どんなに強い馬でも、なぜかG1の通算勝利数が7を超えることが無かったのです。G1レースに8回以上参戦した馬は数多くいましたが、どうしたものか、芝G1を8勝以上する馬は頑なに現れませんでした。次第にこの現象は「ルドルフの壁」「呪い」と囁かれるようになり、サラブレッドを取り巻く不可思議なジンクスと化しました。
アーモンドアイは、このレースでそんな34年間破られることが無かったジンクスを見事打ち破ってみせました。アーモンドアイにとっての大きな功績であることは勿論、競馬業界全体にとって記憶に深く刻み込まれるレースとなったのです。

2021年 ブリーダーズカップ・ディスタフ:Breeders' Cup Distaff
(海外GⅠマルシュロレーヌ

マルシュロレーヌ』は三冠牡馬オルフェーヴル産駒(子ども)の牝馬です。JRAでの芝デビュー当初は勝ちきれないレースが続き、初めて勝利を掴んだのは4回目の未勝利戦という遅咲きっぷり。その後は芝重賞はおろか一般競争でも中々勝てない日々が続いたため、陣営は思い切ってダートで走らせてみることにしました。その選択が大当たり。ダート重賞を1番人気で勝利する機会に何度も恵まれ、国内ダートの強豪として名を轟かせることになりました。
そんなマルシュロレーヌは、2021年8月の国内レース後、同年11月にアメリカで開催される「ブリーダーズカップ・ワールド・サラブレッド・チャンピオンシップ」という競馬の祭典に参戦することが急遽決定したのです。
ブリーダーズカップ・ワールド・サラブレッド・チャンピオンシップ(以降BC)は、アメリカ競馬の一年を締めくくるビッグレースを2日間かけて一気に行うという大イベントです。芝とダート・牡馬牝馬・短距離~長距離のカテゴリー別に14ものG1競争が開催されます。日本では見られないタイプの「競馬の祭典」ですね。マルシュロレーヌはその中の一つ、牝馬ダート中距離の「BCディスタフ」に参戦する運びとなりました。ちなみにアメリカ競馬は芝よりダートが主流のため、ここで勝つ馬は実質米国最強牝馬と見なされます。賞金も1着なら200万ドル、日本円で1ドル130円超えな円安の今だと約27000万以上もらえてしまうという太っ腹ぶり。これがアメリカンドリーム。

しかしマルシュロレーヌ、「こいつなら勝てる!」と期待されてたかと言うと、少し事情が違いました。実はBC内の芝レースに参戦する日本馬の帯同(寂しがり屋な馬が異国の地でも本領を発揮できるよう、顔馴染みの馬を一緒に連れていく)枠として、悪く言えば「期待されている馬のついで」で渡米したというのが本音になります。ちなみに芝レースに参戦した本命馬は名を『ラブズオンリーユー』、牝馬クラシックの内オークスを勝利した馬です。
初めての海外レース、帯同馬、そして国内ではG1だけ勝利実績無し。観客の期待も11頭中9番人気という数字で示され、多くの人が「いやいや…」と懐疑的な評価をしていました。
そんなゼッケン10番、日の丸配色のメンコを付けたマルシュロレーヌは、圧倒的下馬評を覆し2着馬に対してハナ差で勝利。マルシュロレーヌ自身にとってのG1勝利どころか、1984年に開設されたBCディスタフ史上初めての北米大陸出身でない、北米大陸以外で調教された馬の勝利、日本にとっては史上初の海外ダートG1勝利を成し遂げました。もはや天変地異といってもいいほどの偉業で、日本と全米に衝撃が走ったそうな。日本のテレビで取り上げられることは殆どありませんでしたが、日本競馬にとっての躍進を象徴する出来事となったのです。

今回はここまで!

ご精読ありがとうございました!私がピックアップしたのは先に断わったように、私の知り得る名レースを羅列したに過ぎません。ぜひ皆さんには、これ以外のレースにも関心を寄せて頂けたらと思います!
なお次回の記事も現在検討中ですので、ぜひまたご覧になってください!
石田橅でした!


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