自分らしく

自分らしく生きたいと、ふと、思った。
間違えてても、誰かにとっては不愉快でも、誰かにとっては分析されて「こいつ、なんもできんやん、、ダルー、、めんどくさー、、」と思われてても。
でも、もういいのだ。
理由は、面倒臭い、だからである

ただ、面倒臭くなったのだ
人間関係を上手に紡いでいくのも、やりくりしていくのも、無理に見栄張って自分とは価値観の違う他人にも対話して行くのも。

自分とは、違う自分を演じ生き続けることに、無理がしょうじてきてしまった。だって、これが本来の自分ではないもの。違うもん。
苦し紛れでしか言う言葉が見つからないんだもん

自分とは違う自分で生きるって、今まで自然と無意識に、不自然にやって生きてきたけど、こころの奥底でほんとうは、自分の事嫌いで、憧れの人に心の底からなりたくて、でも自分の短所に目がいきがちで、ずっと苦しかったんかな、と。

だからすぐ面倒臭くなるんよね。まあ、飽き性だわ。
そんな飽き性な自分も嫌い。無理すぎる。なんで、こんなにじぶんって、いつもすぐあきるんだろうと、思う。つくづく思う。でもめんどくさい。それが本音
どうしたって、変えようもない本音。
どうしたって、変えようもない、私だけの悪いところ。皆にそれを見せ出した途端、後ろから口出される。うしろ指差されて、嫌な思いをする。
でも、見栄張って無理に自分とは違う価値観の人と紛れて、結局無理が生じて来てしまって、嫌な思いするよりはまだマシかなぁ、とか、思った。
うしろ指差されまくるけどな!

でも、もういいのだ。めんどくさいて言うのもあるけどそれだけでもなく、無理に見栄張って自分らしく無く、他人や誰かに憧れてその背中を追い続けるだけの、自分らしさなんてそれすら分からず、いつから自分が自分であったのか、本当の自分、と言うものが一体何であるのかすら、わからずに、ただただ、ぼうぼうと生きてゆく自我境界線曖昧な生活に飽きてしまった。
だったら、まだ、うしろ指差されてるほうがまだマシだね。もう諦めてるけど。夢とか目標とか、そんなもん追うより、自分らしさを認めて、いまの現実という残酷な現状を思い浮かべて、それすら認めて、その先の、自分らしさを貫いて行っただけの、自分らしい場所でかがやいている自分を見たい。

私はもう別に、世間にどれ程否定されようが、構わないです。だって、自分だけ不幸にはなりたくないもん、どんなに苦し紛れの言い訳に聞こえても、自分には自分らしい適量があること、限界があると言う残酷な事を知った。だから人目を気にして生きるのはもうやめるよ。楽しくないし

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