どうせ尻元過ぎれば青さも忘れる

 とうとう毎年、決めない達成しないが常だった”今年の目標”が決まった。

 

 私はいつもそうだ。自分から動いては、信じられないほど多くの人に迷惑をかける。私自身は人に迷惑をかけてナンボでしょう、いらぬものを背負い込む貴様らが悪いんだ、というスタンスで生きてきたが、もう駄目だ。

 昨年春、進学に伴い実家を出た。そこには自由と地獄が待っていた。そりゃあもちろん実家にいたときは、さっさとこんな家出てやりたいと思っていた。もちろんその気持ちに嘘はないし、当時の私がいまの私と比べて苦しんでいなかったわけはもちろんないが、そういうことではない。なんというか、苦しみの方向性が違うのだ。例えば私の受験期の苦しみは多くは親との軋轢、残りは勉強に対することだ。それは信じられないほど苦しいものではあったが、私には経験値がある。というのも親との軋轢は今に始まった事ではないし、そもそもそれまでの人生、親がいなかったことなどない。そして今まで就学してから勉強をしなかったわけではないし、それなりにいい成績を取るくらいの勉強はしてきている。そのダブルパンチも受け慣れているといえる。当時の苦しみはただ、それらの程度が甚だしくなったというだけだ。
 
 しかしいまの苦しみはそうではない。私はいきなり一人で生活しなくてはならないようになってしまった。言っておくが、私の家事スキルにはなんの問題もない。料理できる。洗濯できる。掃除できる。洗い物できる。片付けできる。勉強だっていままでしてきたじゃあないか。バイトも今まで暇してた時間を使えばいいだけだもの。なんの問題もないわ。

 残念、お前は”できる”ってだけなんだ。”する”のは無理でしたね、馬鹿者。

 家事だけならできる。家事と学校の両立だってできる。しかしバイトは無理だった。3つは私にはできなかった。じゃあバイトをやめればという話だけれど、そうは問屋が卸さない。そうすると生活費がなくなってしまう。やらなくちゃあいけない。何も削れない。でも3つは無理。というような様子で毎日をギリギリアウトで生きているなかで私に留学の話が飛び込んできた。飛び込んできたというより自分から鷲掴んでいたのだけれど、日々をゲロ吐きながら生きている私にとっては、鷲掴んだことなどとうに忘れている代物だ。そんな風に生きているものだから出さなきゃいけないものが出てきた時点でもうアウト。私の能力外へ。許容範囲外へ。出さねばいけない書類の提出期限はことごとく過ぎる。行ったほうがいい補講はバイトで行けない。出席すべき研修はすっぽかす。これに加え、奨学金の書類も出さねばならない。こうなると取らなくてはいけない連絡も取れなくなる。怖くて電話に出られない。しなくてはいけないことが多くなると何もできなくなる。払わなくちゃいけない公共料金もあるし。単位は山ほど落とした。

 そうしてとうとう怒られた。いつもそうだ。何かにやる気になって留学行こうとか旅行に行こうとかボランティアをしようとか、積極的になると駄目になる。付随する何もかもが嫌になってこんなことしなきゃよかったと後悔する。もう何回もこんなことしてきた。そうですとも、こんな愚かなことを何回も。だからもういい加減学んだ。学んださ。心が折れたともいうけれど。

 そこで今年の目標”何もせず、毒にも薬にもならないつまらない奴に成り下がる”を掲げて生きていく。当分のうちは。

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