ロンドン暮らしをわたしが綴ってみる、の話
突然だけど、ロンドンで暮らしながら感じている(た)こと、学んでいる(だ)こと、ふとよぎったことを綴っていこうと思う。
なぜ、いま、書き始めるのか。
この4月に学生という身分をついに初めて抜け出し、2022年から1年間留学していたイギリス・ロンドンで、向こう2年間暮らすことを決めた。
4月にロンドンに再度拠点を移して以降、現在は2つのパートタイムの仕事を掛け持ち、週5日働いている。
物価高なのでもちろん無駄遣いはしないようにしているけれども、友だちと出かけたり、外食したり、旅行に行ったり、という時間も楽しみながら生活できる程度には暮らせている。
つまり、自分にとって大切な何かを我慢しなければならないような生活ではない。
一方で、自分にとって大切な何かが、そもそも「何」であるのかについてよくよく思考をめぐらせ、紡いでみる行為は以前の生活に比べると見当たらない。
その大切な「何か」というのは、異国の地で「今」を生きているという状況下で感じること、見ていること、聞いていること、誰かと何かを交感して気づいた「学び」のようなもの。それらを吐き出す先が、今、なさすぎる。
はて、これまで自分はどうやって「学び」の土壌を耕していたのだろうか。
そこで蘇ってくるのは、学生時代の「学び」に関する思い出である。
それは、さまざまなプロジェクトの実践、それにまつわる目まぐるしい議論(たまにお酒も交じえながらってのが大事)、その議論を豊かにする手がかりになるであろう本を輪読する読書会、そして論文執筆というこれまでの経験から結晶を抽出する息の長い作業…と、思い返すと、そのどれもが濃厚な時間・空間であった。
今思うと学生時代は、幾重にも重なるインプット・アウトプットの機会のはざまにまみれ、時にそれに溺れながらも、なんとか日々を過ごしていて。
これがどんなに貴重な環境だったのか、ということをここ最近ひしひしと感じているのである。
まだ卒業して数ヶ月しか経っていないのに、まるで大昔のことにように語ってしまっているが、それくらい、ロンドンに戻ってきてからのこの約3ヶ月は、目の前のこと、生活基盤を作ることで精一杯だった。
まだ決して生活は安定しきってはないものの、今後おそらく安定することなどないであろう未来を思ったとき、こうして、自分の内なる小さな欲望に気づける余裕がほんの少し生まれた今、noteというメディアを利用して日常の小さな気づきや学びを残してみようと思った。
…とまあ、理由はこんな感じ。
あとは、日本にいる友人が「ブログとか始めたら教えてほしい!」と言ってくれたこととか、日本にいる家族・友人・お世話になったたくさんの人に生存報告もできるな、と思えたこととか、色々組み合わさって、今これを書くに至っている。
文才のなさにはずっと悩まされている。
私の周りには本当に素敵な文章を書く友人・知人がたくさんいる。彼らが生み出す文章にはそれぞれ異なる魅力があって、そんな人たちが最近noteをやったりしているものだから、まあ困ったものだ。ハードルがどうにも上がってしまって、筆がなかなか進まないのも事実である。
でも、もう今の気持ちとしては
「考えるより先に、書いてまえ」
である。
長いものを書こうとすると自分で上げたハードルをまたさらに上げることになりそうなので、ちゃんと、楽に呼吸しながら書けるように、小さなこと、短いことでも「ちゃんと具体的に」書いてみようと思う。
エピソードは色々溜まっているのだけど、テーマはおそらくいろいろ。
あまりカテゴライズしたくないし、とはいえ、ある程度テーマで分かれていた方が自分でも振り返りやすいし。まあやりながら考えていこう。
お付き合いのほど、どうぞよろしくです。
ちなみに、記事のヘッダーの写真は、2年前に初めてロンドンに来て最初に撮った、当時住んでいた部屋からの写真。
このあと荷解きしながらちょっと泣いたんだった。
では、また。
おしまい。
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