ヒラリー・ハーン ヴァイオリン・リサイタル アンドレアス・ヘフリガー(Pf) 2024年5月16日㈭東京オペラシティコンサートホール タケミツ

 昨年に続き、同じ伴奏者のペアで初台オペラシティコンサートホール タケミツでリサイタルが催されました。プログラムはオール・ブラームス・ヴァイオリン・ソナタ。演奏傾向としてはこう予想を立てました。おそらく昨年のベートーヴェンと同じ流れになるのではないか。過度にロマン主義に片寄らず、あっさり目の流れを重視した演奏……。ロマンティックでなかったのは確かですが、他は良い意味で裏切られました。表現は実にパワフルで大胆、歌うところは歌い抜いています。ただその歌う節回しが通常の甘いロマンティシズムとはかけ離れているのです。YouTube音源で聴かれる、ブルッフのヴァイオリン協奏曲のスタイル、あれをそのままヴァイオリン・ソナタに持ち込んだようでした。一つ一つの音は力が籠もり、しかも熱い。これが音楽が無味乾燥に陥らない理由でした。熱々のまま聴者に投げかけてくる。パッションの固まりです。それをほぐして賞味するにも、音楽が流れ次々と固まりは飛んできます。事態は呆然と受け止めるしかなく、積み重なった熱量で体内は次第にほてってきます。一番の緩徐楽章はよく歌っていますが、甘いロマンとは無縁で、底にあるのは確信に満ちた強さです。これによりブラームスの音楽は感傷、回想の性格から180度転回し、未来への信念・希望の音楽になったのです。まさに換骨奪胎ですが、聴者を捉えて離さなかったのは、従来のイメージを脱却した驚きであり、多様性を獲得した喜びでありました。この音楽の傾向が根っからのブラームス・ファンの心を逆撫でするのは想像に難くありません。ノスタルジーとも甘い感傷の片鱗もないのですから。そこにはクララの子供の死を嘆き、涙にくれながらピアノを弾いたという伝説の「雨の歌」も、平野昭氏の三番の解説で綴られる諦念も全く存在しません。ただ一つだけ言えることは、当のブラームスはこの音楽を聴いたら、これこそ私の音楽と随喜の涙を流しただろうということです。ブラームスの音楽の芯にあるのは熱いパッションであることを再認識させられました。
 ヘフリガーのピアノはベートーヴェンの時よりは遥かに粒立ちが良くまとまり、手堅くヴァイオリンに寄り添っていたと思います。
 当夜の白眉は何と言っても二番のヴァイオリン・ソナタ。この曲は23年前同じホールで開催した記念すべき第一回目のリサイタルでも披露されました。月日の流れの何と速いことか。この間彼女は結婚、母親となり、人間的にも成長しました。その成熟は演奏にも表れていました。この二番は彼女の成長の証しでした。何という力強さ、逞しさ。一楽章の速いパッセージでは度肝を抜きました。そして、朗々と歌うG線の旋律。ここにヒラリーのこれまでの人生が詰まって結晶したかのようです。英雄的旋律が心に染みました。“G線上の英雄”、当夜の彼女に与えるにこの上なく相応しい呼称です。

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