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生ハムは手で摘まんでペロンと

【儚く消えゆく生ハム】


「そりゃ、生ハムでしょ」

時刻は朝11時半を回っている。朝食のアルムエルソには遅すぎ、昼食には早すぎる中途半端な時間だというのに、広場のテラス席に座るなり、メニューなんか見ないで頼んでしまう。

でも、食事の時間とか、昼ご飯か晩ご飯かとか、お腹が空いてないとかも全部すっ飛ばして、食べないとこの場所を離れられない!という時はないだろうか。何か魔法にかけられたみたいに。

この呪縛をかけたのがテルエルの生ハム。

生まれも育ちも先祖代々保証された選りすぐりの血統書付き最高級のイベリコ豚の生ハムに対し、こちらはトレべレス産の豚と同様、別の地から連れて来られた豚の掛け合わせによって生まれたハーフやクウォーター豚。

ハーフの子を持つ親だからより愛着があるというのではなく、味わいも、お値段も普段着にペロンといってしまうのに絶好で、薄切りにしてバゲットパンにたっぷり挟んで食べるのにピッタリの庶民派生ハム。

さっそく現れる生ハム。皿の上に花のように広げられた生ハムを手で摘まんで食べる。フォークやナイフで上品に食べなくなっていい。口での食感もそうだけど、手の触った感触というのも大事な美味しさの要素。薄い生ハムを手から口の中で放ってやると、独特の塩味と甘味が舌の上に広がる。甘い? 塩漬けの生ハムが甘いなんてどういうことだ。

もう一度、生ハムを摘まみ、今度はゆっくりと匂いを嗅いでみる。肉の匂いが生臭いと言われることがあるけれど、そんなことはない。鼻先に広がる熟成肉の匂い。発酵臭とは明らかに異なる魅惑的な匂いが鼻孔を通り抜けていくと、それだけでもう生唾が出てくる。我慢できなくなって口の中に突っ込む。歯で咀嚼すると、さっきとは違う旨味で口の中が一杯になる。思わず、「あぁっ」と声が漏れてしまう。味を逃さないようにと思うが早いか、味の主はスルリと喉元へ消えていった。

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(本日のオマケ画像)

あまり美味しそうに食べていたのか、一連の儀式を見ていた店員に「買って帰えりなよ」と量り売りコーナーに案内されてしまった。

生ハムが美味しい場所なら腸詰めだってもちろん美味しい。シナモンやにんにくの風味のアラゴン地方ならではの腸詰めのほかに、エブロ川河口付近では、酢や果物入りロンガニサなど珍しいものもあるのだという。

天井から豪快に吊り下げられた豚肉加工品の数々。あれこれと気前ほく味見をさせてくれる店員。ここまできて「いや、いらん」とは言えない。次の場所に向かうのに困るのは分かっているのに、「少しずつ、いろいろください」と言ってしまう自分を、もう一人の自分が(仕方ないなあ、またかい)と笑った。

現在位置 (6)
現在位置 サラゴサ(アラゴン地方)


【アリエロに学ぶ生活術】

テルエルからさらに北上しサラゴサ方面に向かうとにつれて、同じ地方だというのに土地の料理もガラリと変化する。サラゴサはアラゴン地方の中心都市。現在のサラゴサの町は、19世紀にフランス軍の侵入により大きなダメージを受けたのち再建されたものである。

古くは、イスラム文化の影響を強く受け継いだ都市でもあり、カテドラルをはじめこの地に残る建築物には今でもその名残がみられる。毎年10月にはこの町の守護聖人ピラールの祭りが開催され、聖女ピラールを奉ったカテドラルにはスペイン各地からミサへの参列者が訪れている。


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サラゴサの夜といえば、バール街エル・トゥボ。何軒もの趣のあるバールが細道を左右を埋め尽くし、昼間の落ち着いた雰囲気とは全く異なる別世界が夜更けと共に目を覚ます。近年は若者向けのお洒落なタパスが中心になってきているとはいえども、各所に見え隠れする土地の味を探し出すのも一つの醍醐味だったりする。

この辺りは別名「チリンドロンの地」。チリンドロンという聞きなれない言葉は、古くから伝わる料理法をさす言葉である。トマト、ピーマンや玉ねぎなどの野菜類と鶏、羊などをコトコトと煮込んだ料理は、それぞれ《ポジョ・アル・チリンドロン》、《コルデロ・アル・チリンドロン》というふうに呼ばれている。

羊の放牧が盛んである土地柄、チリンドロン以外にも羊を使った料理は多様で、特に、肉が口の中でホロホロ崩れるくらいに柔らかく仕上げられた羊肉の料理《テルナスコ・アサード》は、肉と野菜のエキスが全て溶け出たようなトロリと濃厚なソースが絶品で、ソースを最後の一滴までパンに浸して食べてしまうので満腹度が半端でない。

何軒も連なるバールの中の一軒。カウンター上に妙な形で鎮座している物体は、テルエル県内トゥロンチョンの村特産チーズ。小説「ドン・キホーテ」の中にも登場するこのチーズ主原料は羊乳で、時として山羊乳を混ぜることもり、上部中央が少し陥没した独特な形をしている。少しだけ切って味見をさせてもらうと、濃厚で酸味が少しありモッタリ感が程よい。迷わず、赤のグラスワインを頼んだら、深いルビー色のカリニェーナ種のワインをたっぷりと注いでくれた。

チーズのすぐ横のショーケースの中。おや?ピストも並んでいる……?

「バカラオ!」

そんなに必死で見ていたわけではないと思うのだけれど、どうやら私は身体は小さいのに態度が多き過ぎて目立つらしい。カマレロが助け舟を出してくれた。

「バカラオ・アホ・アリエロ」

小さなカスエラと呼ばれる土製の鍋に入ったそれをテーブルに置きながら、今度は料理名を教えてくれる。ほぐしたバカラオ(鱈)をトマトやニンニクで煮込んだもののようだ。確か、同名のラ・マンチャ地方の《アホ・アリエロ》にはジャガイモが入っていて、トマトは入ってなかったはずなんだけど……。

この店の《アホ・アリエロ》は、残念ながら期待したほどではない味だったけれど、それよりも、トマト入りとジャガイモ入りの《アホ・アリエロ》が、同じ名なのに、どこでそう変化したのかが気になってしまった。


こういう謎解きを発見すると、いても経ってもいられなくなる。この《アホ・アリエロ》とやらの歴史を調べてみた。

まず、鱈の料理なのに、どこからアリエロ(馬方)という名がついたのかというと、その昔、人員輸送の担い手として馬の手綱を引き、主人を目的地まで届ける、今で言うタクシー運ちゃんの役目をはたしていたのがアリエロたち。そして、その彼らが、馬の世話をする傍らで、手持ちの塩漬けバカラオを使って片手間に作ったというのが、この料理の誕生の歴史らしい。

資料をあさっているうちに、《アホ・アリエロ》のレシピの中でも、現存する最も古いものだと言われているレシピを見つけた。その材料は一塊のニンニクとほぐしたバカラオ、溶いた卵となっている。

周知のとおり、トマトの出現は新大陸の発見以降。つまり、以前からあったトマト無しのラ・マンチャ風の《アホ・アリエロ》にアラゴン風のトマトが加わったのは、16世紀以降ということになる。

さらに調べ進めると、この料理のバリエーションは思った以上に広いということがわかってきた。例えば、ここアラゴン地方では、カリフラワーやジャガイモ、カタツムリ(?)の他、伊勢エビ(??)まで入った《アホ・アリエロ》が存在するという。あいにく、この豪華版の《アホ・アリエロ》にはお目にかかったことがない。


ちなみに、ヘミングウェイが舌鼓を打ったというザリガニ入りの《アホ・アリエロ》は、アラゴン地方より北のナバーラ地方パンプローナの名物であるそうだ。

ただ、ここで残念なのが、隣接するラ・マンチャ地方、バレンシア地方では現在でもトマトを加えない《アホ・アリエロ》が一般的で、トマトを加えるどうかという境界線がどこにひかれているのかは不確定なのだ。分かり次第、お伝えすることにする。

誰も要らないかもしれないけれど。


首都マドリードの位置するカスティージャ・イ・レオン地方と、スペイン第二の都市バルセロナの位置するカタルーニャ地方の狭間にありながら、観光地としてはなかなか注目されないアラゴン地方。

しかし、8世紀にアラゴン伯領として誕生し、11世紀以から12世紀にかけて大きな飛躍を遂げた。アラゴン・カタルーニャ連合国として地中海帝国を築き上げ、15世紀にはフェルナンド2世がカスティージャ王国のイサベル1世と共にカトリック両王として国家統一を目指した輝かしい歴史を持つ場所でもある。きっと、掘れば掘るほど、山ほど宝石が現れるにちがいない。

大都市にあるからとか、そうでないとかは全く問題ではない。それぞれの場所で、それぞれに与えられた条件の中で時代を色付けていく。人も同じなのだろうと思う。一見、単調で退屈なものに見えても、誰のものでもない独自の歴史を綴っていく。そう、アリエロ(馬方)のように。それに寄り添うように生まれる「食」は、「生きる」の他の何者でもない。

エブロ河が横切るアラゴン地方では、良質の野菜や果実が豊富に採れることでも有名な肥沃な土壌。

ギリシアから伝来した洋ナシや中国を起源とする桃を、古代ローマ期から伝わる赤ワインで煮込み、ほんのりとシナモンのオリエンタルな香りを添える。

一つのレシピの中に時代が流れている洋ナシの赤ワイン煮。この地方の代表的なデザートである。


次の目的地 ⇒ ログローニョ(ラ・リオハ地方)



【お知らせ】


毎週水曜日(日本時間)20:00より開催していますSpaces『食べて生きる人たちの広場』ですが、来週12月8日はお休みになります。

この日は、現在開催中の、こちらの連載との連動企画である
みんなで元気を分け合おう『第二回オンライン・トルティージャ祭』
#トルティージャ100  の締め切り日です。

連日、アイデア溢れるトルティージャが投稿され、想像以上の盛り上がりを見せた#トルティージャ100の打ち上げFinalZoomを12月11日(土)20:00より開催します。

目標の100枚は達成できたでしょうか!?

皆さんの体験談を交えた楽しい時間を予定しています。参加ご希望の方は私までご一報くださいね。



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