極秘スパイスはレシピにはないものだった【モロッコ風串焼き肉】(レシピエッセイ)
じつに2ヶ月ぶりに友人のカルメンがご主人と経営する豚肉専門店に立ち寄った。
開店時間直後で、店内ではマスクにフェイスシールドを着用し、さらに肘まである手袋にキャップをした彼女が忙しそうにショーケースの中をディスプレイしていた。
正直に言うと、自粛中の客足が影響し、商品が回転しなくて大変なのではないかと心配だった。けれども、店は商品の品揃えも鮮度も以前の状態をちゃんと維持していた。
ホッとすると同時に、この緊迫した状況で自分達の店を守り抜く彼らの真摯な姿勢を目の当たりにして胸を熱くした。
「(感染防止に)宇宙服を着てるって聞いたから見に来たよ」
そう言うと、わずかに見えているカルメンの二つの目がなめくじみたいにグニャ~と曲がる。
「ほんと、最低!いい加減にして欲しいよね!」
マスクの下にあるお互いに表情はよく見えないのに、ただ同じ空間にいる喜びを分かち合う。
彼女と知り合って25年になる。私がこの村の一員となって最初に一人で買い物に来た店がこの店だった。その後、カルメンとご主人のミゲルには二人の女の子が生まれ、彼らの長女とうちの次男が同級生となり、次男の一番最初の彼女となった。
子ども達も今では成人し、それぞれ別の道を進んでいるのだけれど、私達が彼らの娘たちが元気にやっている様子を聞くと、親戚の子の事のように安心してしまうのは、きっと彼らも同じだろう。
「今日は何にする?」
前のめりになってカルメンが聞く。
「ロンガニサを1キロ、ブティファラとチョリソを各500グラム、スペアリブを1キロ、脂身の少ないところで。それから……」
(説明)
ロンガニサ:ソーセージ
ブティファラ:豚血入りソーセージ
チョリソ:パプリカ入りソーセージ
注文内容を伝えている途中で、私の声を聞きつけたミゲルが店の奥から出てきた。明らかに2ヶ月前よりも成長している。
「あらま。ご主人、ご予定はいつですのん?」
「ん~ん。双子みたいだから大変。もうすぐ三つ子になるかもよ~」
XLサイズだった服がXXLになり、今やXXXLになる勢い。ポロシャツの胸元のボタンが今にも飛んで行きそうになりながら必死に頑張っているのが痛々しい。二人してマスクをしたまま大笑いしたら、大きく吐いた息が漏れて眼鏡が曇ってしまった。
ふと、彼の手を見ると、話をしている間もずっと何やらビニール袋の中で揉まれているものがある。
「何それ?」
「ピンチョさ」
思わず目が輝く。
正式名称は、北アフリカのモロッコから伝わったと云われる『ピンチョ・モルーノ(モロッコ風串焼き肉』。
本来はクミンやコリアンダーなどのスパイスで調味した羊肉を串に刺して焼いた料理。
対して、パプリカを主張香辛料としながら各地で微妙に異なるスパイスを効かせ、モロッコでは宗教上の理由で摂取を禁じられている豚肉を使うのがスペイン風。
食文化はその土地の自然環境、宗教、経済、生活習慣、国民の食に対する趣向、既存する食文化にうまく順応しながら受け入れられていく。
もしかしたら、この料理が日本に伝わっていたなら、調味料のちょっと生姜や醤油といったものが使われて、豚肉ではなくマグロの切身かなんかになっているのかもしれない。
実際のところ、この辺りではピンチョに何を入れるのだろうか。
このチャンスを逃すまい。作り方を聞き出すことにした。
◇
まず、味から予測を誘いをかける。
「それって、ニンニクとパプリカを……どうするの?」
「そうそう。塩を加えたニンニクをペースト状にしたらパプリカを加えて、オイルでのばして……」
「オリーブオイル?」
「その方が美味しいけど、オリーブオイルなら辛くないやつ。オイルで調味料が肉に絡みやすくなるように入れるんだ」
よしよし、ミゲルがのってきた。
「へぇ、それで、それで?」
「それで、滑らかになってきたら、豚肩肉を入れて漬けるだけなんだけどね、その時に……」
そこでなぜか急に口ごもるミゲル。そこまで説明しておいて肝心な部分は内緒はなかろう。もちろん圧す。
「その時に……、何?」
「だから…………」
「うん。だから何よ」
「その時に…………」
「吐け!吐いて楽になるのだ!!」
ミゲルが思わずプッと吹きだす。そして、ついに吐いた。
「ちょっとだけアルコールを入れんだよ……」
まるで、こっそり付き合っていた彼女の話をする高校生みたいに赤くなるミゲル。さらに、言い訳でもするかのような説明が続く。
「たくさんじゃないよ。ほら、僕の隠し味だから……。その、そうしたら美味しくなるし、ほら、柔らかくなるし……」
何なんだ、このいじらしさは!!
楽しくなって結局、根掘り葉掘り聞いてしまった。思いがけず私のS気質も発見してしまい、苦笑いしながらも、ちゃっかりとピンチョ用に豚肩肉500gも追加注文した。
商品の入った袋を受けて取ると、カルメンが自分達用に冷凍保存してあった豚の耳を袋に突っ込んでウィンクをした。無料のサイン。
「アスタ・ルエゴ!(またね)」
「アスタ・ルエゴ!(またね)」
「アディオス(さよなら)」ではなく、今度会う時までの「アスタ・ルエゴ(またね)」。
3人で兵士のように右手を挙げて敬礼した。
◇
早速、自宅のキッチンで教えてもらった配合で作ってみる。モルテロでニンニクをつぶしパプリカを合わせていくと、途端に強烈なエスニックな香りがキッチンに漂ってくる。
教わったようにオリーブオイルで丁寧にペーストをのばす。コニャックで香りをつけた中に、2センチ角に切った豚肩肉を入れ混ぜた。
◇
久しぶりの友人との時間。たかが30分程なのに、何時間もの空間を満たしてくれたような気がする。
規制された生活を強いられるようになってから、スーパーに買い物に出るのも必要最小限でリストアップした商品を急いでショッピングカートに放り込んで帰宅するという味気ない外出が日常となっていた。
以前のように、知らないオバサンと一緒にワインを選んだり、専門コーナーの順番待ちをしながら「今日は鶏モモ肉がお買い得だよ」と教えてもらったり、レジ前で子どもを叱り付ける母親と「大変だねぇ~」と立ち話をすることもない。
日本人以上にスキンシップやコミュニケーションを大切にするスペイン人にとって、人と触れ合い、語り合い、笑い合えない生活による精神的なダメージは非常に大きい。
少しずつ感染防止目的の規制が緩和されてはいくだろう。それでも、以前の状態になるまでにはかなりの時間がかかると思う。もしかしたら、全く同じ状態にはならないのかもしれない。
何よりも、亡くなった人達や愛する人を失ってしまった人達にとっては修復不可能な打撃となってしまったのだから……。
その現実を理解した上で、ちゃんと今までどおりの笑顔が自分を待っていてくれるのだということを忘れたくない。
同じ状態にはならないくても、以前よりも良い状態に出来る可能性があるということを。
本当は、こっそりと教えてくれたピンチョのレシピの中にはなかった極秘の必須スパイスがある。
苦境に真正面から立ち向かうミゲルとカルメン夫婦の強さと優しさから生まれる最高の笑顔。
これだけは絶対に外してはいけないスパイス。
彼らの笑顔がエキゾチックで刺激的なピンチョに絶妙の味わいを加える。
ミゲルのピンチョは3日目ぐらいが食べ頃らしい。1週間くらいは冷蔵庫で保存できるとカルメンが言っていたっけ。
そうだ。
ピンチョが美味しく出来たら報告をしに店に行こう。
また極秘スパイスを求めて。
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