見出し画像

オレンジ色の風が届けてくれた忘れ物【アンダルシア風オレンジのサラダ】(レシピエッセイ)

「ピポ〜ン」

セットした目覚まし時計よりも早く夫のスマホがメッセージの着信を知らせる。早起きの発信者は隣村に住むフェルミン。

隣村だなんて大げさに聞こえるかもしれないのだけれど、私の住むバレンシアの片田舎では、村と村の間にはまだ緑が充分に残っている。ひょいと手を伸ばせばオリーブやアーモンドの畑がある恵まれた環境だ。

早速、メッセージの内容を覗いてみると、なんと「タマネギいるか?」だった。

「いる」と答えてから詳細を決めるまで30分。電話をしたら2分で終わってしまう内容だ。暇なんだから仕方ない。

そして数時間後、採れたての大量のタマネギがオレンジと共に我が家にやって来たのだった。

春先に出回る真っ白なタマネギ。辛味が少なく、さっと水にさらしてレモン醤油と鰹節で食べても美味しいし、火の通りがよいので炒め物に使ってもすぐに柔らかくなるうえとっても甘い。小さい玉なら十字に切れ目を入れて丸ごと酢漬けにしてもいい。

でも、せっかくの美味しいタマネギ。やっぱり生のままさっと塩をしてサラダにするのが一番好き。

噛むと水分が飛び散るくらいに瑞々しさと舌をピリリと遠慮気味に刺す辛さが共存する味わい。食わず嫌いのまま何年も過ごしたのが悔やまれる春先のタマネギ。

その貴重なタマネギが大好きなオレンジと一緒にやって来たんだから、鴨が葱を背負ってきたようなものだ。いや、鴨でなくてオレンジだから「カモ葱」でなくて「オレ葱」。

この二つが一緒にあれば迷うことなく作りたくなる一品がある。その昔、私の恩師のご主人でアンダルシア地方出身のハビエルが教えてくれたレモホン(Remojón)と呼ばれるサラダだ。

彼自身、故郷を離れて20年程経った頃だった。子どもの頃、よく食べたんだよと頬を緩めながら作ってくれたものだ。

サラダといっても、オレンジ、春タマネギ、鱈、茹で卵、ブラックオリーブといった材料をオリーブオイル、ビネガー、塩であえるだけなのだけれど、りんごやレーズンが一緒に入ったフルーツサラダしかオレンジ入りのサラダは食べたことがなかった当時、奇想天外な食材を組み合わせたこのサラダの美味しさといったらなかった。

まるで、いろんなものを片っ端から箱に詰めたらボンという音と一緒に花束やウサギが飛び出してきたような面白さがあった。


「ちょっとだけパプリカを加えるんだよね」

人の五感というのは現在進行形の時空にのみ存在するものではない。過去の記憶の中で色や匂いと一緒に誰かの声や味わいが鮮明に浮かび上がってくることがある。

久しぶりに思い出すハビエルの声。アンダルシア訛りのある少し鼻にかかった彼の声に誘導されて、パプリカをほんの少しかけてみる。パプリカのスモーク香がふわりと鼻先まで舞い上がってきた。

オレンジに酸味があり、タマネギと鱈に塩気が残っているので、ビネガーも塩もほんの少しだけ。その分、フレッシュなオリーブオイルを贅沢に回しかける。

眩しいくらいのオレンジ色を遮る白さ。ブラックオリーブの黒にポツポツと点在するパプリカの赤。絵の具をぶち撒けたようなインパクトのある色彩に、一気にアンダルシアに足を踏み入れてしまったようにドキドキする。

味の大合奏を楽しみたくて、恥ずかしいくらい大きく口を開けて、わざと一切れずつ寄り集めて口に入れてみた。

ジューシーで甘酸っぱいオレンジと、シャキシャキのちょっぴり辛いタマネギが出合う。鱈の塩味はオレンジ果汁でまろやかに落ち着いている。白身と黄身の食感がオリーブオイルと一緒になって全体をまったりとまとめ、癖のあるブラックオリーブの立ち居地をそっと作ってやる。もう、口の中が楽しくて仕方ない。




5月も既に半分が過ぎた。そろそろオレンジの季節は終わり、来月には色鮮やかな夏野菜が出回り始める。オレンジと春先のタマネギを使ったサラダは、まさに、この時期だけの季節の風物詩なのだ。

毎年、楽しみにしている野生のアスパラ採りも、約束していたサクランボウの木の下でのお花見もキャンセル。毎年、この時期になるとご近所からお裾分けにもらう枇杷の実もない。

わざと感じないふりをしていても、その季節にしか味わうことのできないものがいくつもあって、焦燥感はぬぐえない。

今年は春を失ってしまった。
そう思わずにはいられなかった。

でも、それは違う。自然は何も変わってはいない。地球は相変わらず太陽の周りを自転しながら一年をかけて周っている。今までと同じように、これからもそうであるように。

2020年の春はどう足掻いたってもう戻ってこない。けれども、次の春には新たな芽を吹き、ちゃんと季節が巡っていく。

今の人類のこの状況も、原因そのものはたとえ人為的なものであっても、結局は自然の大きな手の中で転がされているような気がして仕方がない。

人間と自然の共存だなんて大それたことを言うもんじゃない。人は自然の中に生かされているんだから。自然は人間なんかに比べ物にならない力を秘めている。

自然に守り守られる。
そんな単純で、一番大切なことを忘れずにいたい。


窓の外を見上げる。

そこには、もう何年も見たことのなかった雲一つない澄んだ瑠璃色の空が静かに果てしなく広がっている。



今日の一品:アンダルシア風オレンジのサラダ(レモホン)

画像1

材料 
オレンジ / タマネギ / 干し鱈 / 茹で卵

パプリカ粉 / ブラックオリーブ / ニンニク (オプション)

オリーブオイル / ビネガー・塩

作り方
干し鱈の塩を抜いておき、丁寧に小骨を外し手で小さく裂く。固茹で卵を作り冷ましておく。

タマネギを細めの串切りにして軽く塩をして辛味を抜く。オレンジの皮をきれいにはずし、食べやすい大きさに切る。その他の材料も好みの大きさに切る。

全ての材料を合わせ、オリーブオイル、塩、ビネガー、パプリカで味を調える。味が馴染むように15分-30分冷蔵庫で冷やす。

補足
パプリカ、ブラックオリーブ、ニンニクはお好みで加えてください。干し鱈がない場合、ツナ缶でも美味しいです。ボリュームを加えたいときにはゆでたジャガイモを加えてみてください。パプリカを使う時は、先にオリーブオイルやビネガー、塩と一緒に合わせておくと、全体にまんべんなく味が馴染みます。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?