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いま、ここにある

この一か月何もやる気が起きなかった。何もしなかった。何もやりたいこともなかった。
そんな時間を過ごしていると、社会の波に乗れていないなぁ、はみ出してるなぁ、必要とされていないなぁなんて感じる。

それでも「なんとかなる」を口にしながら過ごしていた。これはコーチングのホームワークだ。幸せの4因子の一つで、私に最も足りていない「なんとかなる」の意識。新しい環境になる事への不安が頭をよぎる度に「なんとかなる」と声に出す。やる気が全く起きないので「なんとかなる」とつぶやく。やる気やエネルギーに溢れた人を見ると「熱いな…。人生ってそんなにエネルギッシュじゃなきゃだめ?」とか感じてしまう。

そして、私は道端の石っころだな…そんな風に感じていた。そうしたら…ふと自分が「ある」と気付いた。「いる」というより「ある」。自分がここにあることに生まれて初めて気が付いた。

「今を生きる」ってできるようで出来なかった。過去に囚われて過去に生きる時間が長かった。それが「私はここにある」という感覚が分かって、「今を生きる」ができるかもしれないと感じている。

道端の石っころは動かない、動けない。それと同じように私もこの身体から出られない、動けない。私の身体はここ。ここにある。私の中身はどこにも行けない。私にできるのはただここで「ありたい姿」を目指すこと。
私が「いる」のは誰かの記憶の中。誰かの記憶の中にいるだけ。そして誰かの中で誰かの一部に影響を与えている。私の中にも誰かがいる。誰かに影響されてできている。必要のない人は忘れて、いなくなる。きっとそうやって人はできている。

私はここにある。いま、ここにある私を「ありたい姿」に近づけるしか、ありたい自分になる方法はない。誰かの中にいる私はすでに過去の私だから。私の中にいる私もまた過去。いま、ここにある私だけがわたし。だから自分で自分を確認し続けないといけない。誰かの中にいる私もきっと、もうわたしじゃない。

道端の石っころだから黙ってたら気付かれない。だから、自分をありたい姿に磨いて、少しでも見てもらって、誰かの中にいたい。私も誰かを知って誰かといたい。そうやって人はできていると思う。

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