パレスチナという地、イスラエルとパレスチナ
元々、パレスチナ人とユダヤ人が住む地
131~ ユダヤ戦争 ローマ帝国によってユダヤ人が追放される
第一次世界大戦
<イギリスの三枚舌外交>
・ユダヤ人に対して、「ユダヤ人国家建設」を約束
→ユダヤ人富裕層の資金目当て
・パレスチナ(アラブ人)に対して、
「オスマン帝国と戦えば独立国家」を約束
→オスマン帝国内の仲違い目当て
・フランスに対して、「アラブ地域の土地の山分け」を約束
サイクスピコ協定
1947 国連でのパレスチナ分割決議
パレスチナの地をユダヤ人国家とアラブ人国家を建設
※エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地だったため、
国際管理下に設定。
1948 ユダヤ人政府がイスラエルを建国
→周辺のアラブ諸国がイスラエル侵攻
第一次中東戦争
70万人のパレスチナ人難民
1956 第二次中東戦争
1967 第三次中東戦争
1973 第四次中東戦争
1993 オスロ合意
アメリカとノルウェーが仲介
→イスラエルを国家として、パレスチナ解放機構(議長・アラファト) をパレスチナの自治政府として認める。
2000 キャンプ・デービッド2000年サミット
アラファト議長がイスラエル側の「西岸地区の91%の支配権を認める、ただしこれとは別に西岸地区の1割の面積を当分の間イスラエル側の支配下に置く」とする和平案を拒否