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51歳の年を迎えて思うこと

私は1971年1月17日に生まれました。今日で51歳になりました。

全く関係ありませんが、51といえばイチローを思い出します。
多分31歳になったときには掛布を思い出したはずです。

20歳の誕生日に湾岸戦争が始まりました。だからかどうかはわかりませんが、世界平和を願っていて戦争はできるだけ避けたいタイプです。

24歳の誕生日には阪神淡路大震災が発生しました。だからかどうかはわかりませんが、被災された方の支援は積極的にしたいと思うタイプです。

50歳の年の活動まとめ

50歳の年は今までの流れの延長でありながらも、一段階ステップアップした活動ができました。

前年末から春までは私の住んでいる町の庁舎建設の委員会の委員として庁舎建設についての議論に参加しました。ちょうど50歳になった頃は私以外のほぼ全員が「合併特例債の枠の残りをすべて使って本庁舎を建設する」という意見を表明されて絶体絶命の状態でした。それでも「子どもたちの未来のために」流れを変えなければと、自費で7週連続の「これからの公共施設経営」というオンライン講座に参加したり、木下斉さんのLINEオープンチャットで相談させてもらいながら勉強しました。その内容をまとめて委員のみなさんに説明させてもらうことで「既存庁舎を最大限活用して、最小限の庁舎を建設する」という結論に持ち込むことができました。これはとてもいい経験になりました。(詳細は近いうちにnoteで公開するつもりです。)

夏には思い切って導入したinsta360Proという業務用の360度カメラや既存のinsta360oneX2などで柿原縁日、廃村芸術祭の映像を撮影して映像コンテンツを作成させていただきました。そのためにAdobeのツールも導入しました。また3dVistaというVRコンテンツ作成ソフトを導入して、本格的にVRコンテンツ作成をはじめました。まだまだ未成熟な分野ではあるので未来への種まきと思って、お金や時間をかなり先行投資しています。

秋には鳥取県高校PTA連合会の研究大会でメディアとのよりよいつきあい方について講演をさせてもらいました。今までより高いレベルを求めらるものにチャレンジしたことでかなり勉強していいコンテンツができました。県内公立高校の校長先生やPTA会長が集まられた中での講演でしたが、知った顔も多くてリラックスできましたし、しっかり準備でいていたことで自信を持って話をすることができました。今年の1月に亡くなった高校の校長まで務めた父親には仏前で報告しましたし、きっとその場でも見守っていてくれたことと思います。

その直後にはじめてYouTubeでの講演の配信も行いました。こちらもかなりたいへんで苦悩の日々を送りましたが、なんとか締め切りまでに満足のいくものに仕上げることができました。再生データを見ると反省点もありましたので今後に活かしたいと思います。

これまで続けてきた「若桜鉄道全駅経由非公認ハーフマラソン大会」や「8823トライアスロン」などの活動も変わらず行っています。既存の活動はレベルアップアップすることができ、今までやったことのないことにもチャレンジすることができたので、活動の幅が広がった一年でした。

51歳になった今年はそれを確実なものにしていくために地道な活動をやっていこうと思っています。

51歳の年の活動テーマその1「子どもたちの未来のために」

僕の中の普遍(不変)のテーマは「子どもたちの未来のために」です。
様々な活動をしていますが、すべてはこのテーマでつながっています。

メディアとのよりよいつきあい方の講師の活動では、テクノロジーで子どもたちの未来をよりよいものにするために、適切な活用方法を保護者さんや子どもたちに伝えています。

「若桜鉄道全駅経由非公認ハーフマラソン大会」や「8823トライアスロン」は、小さな事からはじめて地域での仕事を作って見せることを目的に活動しています。こんな田舎でも活用できるものはたくさんあって活用することで仕事を作ることができることを見せたいです。
映像コンテンツやVRコンテンツの制作も同じです。田舎の方が「絵になる」「映える」ものが多いです。コンテンツ制作を仕事になるレベルまで引き上げてお金を稼ぐ仕組みを作りたいです。

小さな仕事でもたくさん作ることができればここで暮らしていくことができると思わせることができて、ここに住み続けたいと思う子どもたちも増えると思っています。

51歳の年の活動テーマその2「歴史はコピーできない」

去年加わったテーマは「歴史はコピーできない」です。
以前から地域の歴史や文化を勉強して地域での活動に組み合わせることで、活動の価値を上げることができると思って資料を集めていましたが、それを読んだりまとめたりすることはできていませんでした。それをはじめるきっかけとしてはじめたのが「八頭郡誌を読む会」です。ひとりで資料を読む時間と場所を作るために始めた会ですので、そこまで人を集めることを目的としていないという意味ではいままでの「わかてつハーフ」や「8823トライアスロン」と同じような「自分ひとりで楽しむことが目的」のイベントです。

実際にはじめたことで地域の歴史や文化を学ぶきっかけとなり、勉強もかなりすすみました。取り組んでいる活動に代えがたい付加価値をつけることができるという当初の目的以上に、先人に学ぶことで不確かな未来への指針を得ることができるという効果もあることを感じてきています。

51歳の年の活動テーマその3「お金のことを正確に伝える」

先人の想いに学んでいる中で印象的なのが「お金を持つ人間が想いを持ってそのお金を社会に投じる」ということがよく出てくることです。

明治の初期に島根県に併合されていた鳥取県では、東部は交通の便も悪くて非常に生活が困窮していて、鳥取県の再配置運動が起こりました。明治の初期に山県有朋が山陰を視察に視察に来た時に鳥取の道路の状況が悪いことを見ていて、鳥取県を再度配置する時には道路の整備が必要という話になったそうです。鳥取県が再配置されて一番最初に作られた鳥取ー戸倉間の道路は38,000円かかりましたが、その内の4,000円は安井宿の小林勘三郎氏が出されたそうです。

地元にある昭和5年に完成した山陰初の長水路50メートル(隼プール)は、公費は入ってなく、地元の大地主からのお金と八頭郡内の小学校の先生と各家庭からの寄付のみで作られたと聞いています。

お金を地域社会に投じる昔のお金持ちは敬意を持たれていたと思います。

現代ではお金を稼ぐことは汚いことのような言われ方をされることも多く、高額納税者も敬意を持って扱われるのではなく、ディスられる始末です。お金を稼いたひとは地元でお金を使うと悪い噂を流されるため、地元でお金を使わず東京や海外で使うらしいです。

でもよく考えてください。税金が均等割だったら、収入が低い人の方は今よりもたくさんの税金を支払う必要があります。飛行機もエコノミークラスだけだったら、今よりも高い運賃を支払う必要があります。多くの税金を支払ってくれている人がいるから、低所得者は低い税率で済んでいます。高い運賃を払ってくれている人がいるから、エコノミーに乗る私たちは低い運賃で済んでいます。

高所得者、高額納税者が敬意を持たれる社会になることで、その方々が気持ちよく地域社会にお金を還元することができると思います。そうなれば、みんなが生きやすい社会になると思います。

そんな社会をめざしたいので「お金のことを正確に伝える」ことができるようになりたいと思っています。

最後に

51歳の年を迎えて思うことを書いてきました。時間はかかりましたが、意外と長く書けました。引き続き明日以降もこの中のテーマ毎に深掘りして投稿していきます。

無事52歳になったときに「この一年はがんばったな」と思えるように定期的にこの内容を見返しながら活動していきたいと思います。

今年は誰かの力を借りないと実現できなさそうなことにもチャレンジしようとしています。そのときはご協力をよろしくお願いします!

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