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あのG・ルーカスが認めた日本人画家がいる。

知る人ぞ知る存在。

私が約50年前から気になっている画家だ。

それが巨匠『生賴範義』画伯だ。

日本人離れした格調ある画風。

卓越したリアルなデッサン力。大胆な色使い。
完成された構図。迫力と緻密さが融合する独自の境地。

『スターウォーズ帝国の逆襲』のポスターを描ききり、
世界中から大絶賛を受けた。

日本SFアート界での最高峰だ。

また、吉川英治全集、小松左京、平井和正の装画、
松本清張、森村誠一、戦後秘史の肖像画、等
多くの作品を世に出した。


ところで、

わたしは物心ついた頃から絵ばかり描いていた。

レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ
多くの画家から影響を受けたが、

最大に影響を受けたのは他ならぬ『生頼範義』師だ。



子供だった私の頭蓋骨に稲妻のような衝撃を受けた。

それは何故か?


子供の頃から好きだった本や雑誌、漫画の表紙や挿し絵を
見ていて、子供心に「これは凄いなあ」と思ったものを
スクラップして集めていた。

今で言えばイラストレーターだが、その作者の名前も
知らずに集めていた。

中学生ぐらいになった後でわかったのだが、
その作品の殆どが『生賴範義』だった。

彼が描いた作品の右下には、格好いい独特の英文字の
サインがあり、生頼範義氏の作品だとすぐに分かる。

何よりも作風が独特なのだ。

わたしが小学生の時に、
『ぼくらマガジン』という雑誌が発行された。

その雑誌の表紙絵『魔王ダンテ』が凄かった。


半身が人間、もう半身が獣の巨大化した魔王ダンテが
血の涙を流し、こちらを向いて、すっくと立ちはだかって
いる、まるで、そこに描かれた絵が生きているかのような
リアルさを私は忘れられない。

永井豪氏の漫画を生賴範義氏が表紙絵のために
描き下ろしたものだった。

永井豪氏の漫画は物凄く面白かったのだが、
生頼範義氏が描いた表紙絵の圧倒的な存在感は
永井豪氏の作品を完全に超え、

絵画なのに
そこには生命が宿っているかのように私には見えた。

また、

中学生の時に、平井和正氏の『狼の紋章』を読んだ。
その表紙絵と挿し絵が、またまた生賴範義氏だった。

表紙絵も凄かったのだが、

私は平井和正氏の軽妙な文章の
間に挟まれた生賴範義氏の挿し絵に息を飲んだ。

それは、「白と黒のみの世界」だった。

犬神明という主人公やその他の登場人物、
そして虎や狼等の動物などが黒インクや墨で
描かれているのだろう。

「光と影」だけで、描かれた登場人物達が
実際に空間の中で語り合い、アクションをし、
生き生きと息づいているかのように私には見えた。

「将来、こんな絵が描きたい!」と子供の私は思った。

今、手元に一冊の画集がある。

それは限定数500部のうちの第258番
『生頼範義イラストレーション』1980年発行だ。

わたしが20代の時、「よしっ買うぞ!」と覚悟を
決めて買った画集だ。

今でも何度もなんどもページをめくりかえす。

わたしは何度観ても飽きない。

その都度、決意を新たにする。

「近づこう!」と。

絵画の面での私の師匠のひとりだ。


しかし
「できれば違う方向で超えよう!」


ある時、絵のわかる人に、生賴範義師の画集を
見せたことがあった。

すると、

「似ている」と。

私のコンピュータ・グラフィックスで作成した
ビジョンアートⓇのいくつかの作品と生頼範義師の絵の
雰囲気が似ていると言ってもらった。

私は嬉しかった。

ぜんぜん意識していなかったのだが、
尊敬する生頼範義師の作風と似ていると言われたのが。


しかしまだまだ道は遠い。

わたしは今以上にデッサン力を身につけたい。

もっと技術を磨きたい。

研究はするが、真似はしたくない。

もっともっとオリジナリティを表現したい。

そのためにはさらに思考を深め瞑想をし、
技術を向上させよう!

生賴範義師の
以下の言葉がいつも私の頭に浮かぶ。


「SFアートを志す少年へ

 SFアートとは
 『宇宙の果にまで観察の眼を拡げ得る【知性】と
 地獄の暗黒に戦慄する【感性】という人類の両極端に
 渉るものだ。

 そして現実世界は、光と闇の中間にある。


 先ずは、自分の手首を描くことから始めたまえ。

 かつて、
 その手が握った旧石器の固い感触を想い出したまえ。

 そこが遙かな【時間と空間】の旅への出発点である」




いつの日にか

わたしは

生賴範義師とは違う方向で超えたい。



そして
私の将来はコンピュータ・グラフィックスのみでなく

この生身の「自分の手」で「真理」を描き続けるのが

50年以上抱き続けている

私の夢だ。


必ず実現する。


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