風の時代を生きるということ


みんなが言ってる。
風の時代に上手く乗って軽やかに生きようって。
でも、そんな時だからこそ、しっかりと根を張って生きたいと思う。
吹き飛ばされないようにね。

物事をフレキシブルに考えて行動することは大事だ。
けれど、この肉体を持ちながら上と繋がるためだけに憂き身をやつすことは刹那すぎる。
生きてる限り肉体を無くすことは、私たちには出来ないのだから。

この身尽きた時にいとも簡単に出来ることを切に願うことは、たった今、この時を生きることから遠くなる。
何よりもこの肉体をもってして、今、ここに在るということは本当にすごいことなんだ。

目的地をみつけて、近道を探す、最短で物事を成すことは効率はいいけど、旅情的ではない。
私たちは人生という旅の真っ只中にいる旅人だ。
たとえ回り道して労して功無くとも、それをやり抜く意味は大きい。

どんなに辛くて悲しみに触れたとしてもそのことすら楽しみその瞬間を慈しむことが、今世己れの喜びなのだと、そう感じている。

そう、ただ感じること。
それが風の時代を生きるということなんだ。
そこにロジックを見出すことはロマンティックじゃないよね。

悲しかったら泣いて
おかしかったら笑って
納得いかなかったら悩んで
時に怒って、また泣いて笑って…
人生はその繰り返し
破壊と再生。
シヴァ神が踊っている。

その美しくも退屈な永遠のルーティンのループのなかで、実に私たちは軽やかに生きてきたしこれからも生きていく。
ただ、その時、その瞬間を、風に吹かれながら

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