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嘘日記 3/19 美容院にて

髪を切った。
長く鬱陶しかったパーマのかかった髪とは今日、そこそこの手切金でお別れできた。
しかし、美容院に行ったのは実に2ヶ月ぶりくらいだろうか。
来月にはまた来てくださいね、という美容師からの言葉を毎度無視し続けているが、その頻度で毎度毎度パーマとカットを頼んでいたら私は破産するだろう。
毎月、2万。
それを12ヶ月。
中古車だ。
スズキの軽自動車が買える。
髪の手入れとは恐ろしいものだ。
では、何故髪の手入れに老若男女限らず力を入れるのだろうか。
それはきっと髪が成長しやすいことと髪の長さで印象が変わりやすいことに由来するのだろう。
折角格好よく切り揃えてもらったところで2ヶ月も経てば数ミリのツーブロックが放置された棚田の如く荒れ果て、整えられたうなじはさながら割れたアスファルトの如く雑草が生い茂る。
いくら服装や言動に気をつけても、だらしがなく見えるだろう。
しかし、一度その髪の毛を手入れしてみるとどうだろう。
その辺の輩でも髪を切った直後は爽やかに見えるし、綺麗に整えられた毛先は見る人から実直に思われる。
散髪は清潔と不潔のラインをリセットし、引き直す力があるのだ。
男性の私でもそうなのだ。
全ての女性がそうだとは言えないが男性と比べて、比較的長髪の多い女性となると、その手入れの大変さは想像に難くない。
トリートメントやヘアオイル、ヘアミルクなどなど掛かる時間は男性の何倍なのかと考えるだけで身震いがする。
では何故女性は髪のケアを大切にするのだろうか考えてみる。
古より、神道では女性の髪には神が宿ると考えられてきた。
願掛けで髪を切らなかったり、失恋で髪を切ったり、というのも実はそういった生活に根ざした宗教観が一般化した結果なのだ。
しかし、仏教では髪は穢れとされており、煩悩や俗世に己を繋ぐものだと考えられている。
では、神道・仏教に少なからず影響を受けている我々はそのどちらの考えを持っているのだろうか。
私は無宗教だが、こと髪については仏教の教えを信じたい。
女性の方が長いって、そういうこと? と思いたいのだ。
チビはスケベという俗説に長髪はスケベを追加したいのだ。
なんだか興奮してしまった。
私が髪を伸ばしたり、パーマをかけるのは即ちモテるためだ。
坊主がモテるなら私はとうにズルズルの坊主になっている。
男性も女性も、自由に生を謳歌して欲しい。
髪のアレンジは、自己表現の最初の一歩だ。
余談だが、浴衣姿のうなじに欲情するとかいう腑抜けた男子の性的嗜好をよく耳にするが、はっきりいってしまうとあれは嘘だ。
戦後教育という過ちの中に生まれた化物の幼虫だ。
そんな男よりも、巨乳が好きだと大きな声で言える男に、私はなりたい。
それで、巨乳の女とデートしたい。
スズキの、軽で。

どりゃあ!