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噓日記 12/19 ワンコインの幸せ

今日は一日多忙を極め、晩飯の準備をするのも躊躇ってしまうほどに疲れていた。
そんなわけで帰り道に牛丼チェーンに寄って一番ノーマルな牛丼をテイクアウト。
疲れているから店で食べればとも思ったのだが、気分的にどうしてもそれを避けたかった。
店内のどうにも忙しいあの雰囲気に飲まれてしまい、私も勝手に気疲れしてしまうと予想して。
店員も客もすぐに店を飛び出して日常に戻ろうとしているような忙しなさが、牛丼屋からは一日中消えない。
そんな店内の狭い座席で肩を窄めて飲食していたら、自分までもどこかその加速したシステムに組み込まれてしまうような気がするのだ。
だから家の机で広々とゆっくり食べる。
自宅の薄暗い室内で広い机にポツンと牛丼が一つ。
スポットライトのように小さな電球で照らされたそれに正対する私。
テイクアウト容器の蓋を取り去る。
久しぶりの牛丼だ。
分かりやすく旨そうな香りが部屋に広がる。
普段の生活では、あまり牛丼のような丼ものは食べないようにしているため、なんだかそのジャンキーな香りには多少の罪悪感が含まれている。
ただ今日の疲れから鑑みると牛丼の糖質が丁度体の求めているものだった。
一汁三菜からは程遠いが体のためを思った食事、そして何より心のためを思った食事だ。
箸をつける前に冷蔵庫からポン酢を取り出して、一回し。
なんとなくそれでサッパリする気がして。
ジャンキーさも栄養素も、なんなら足しているけれど意味のない保険をかけておく。
そして、箸で米と肉をバランスよく整えて、頬張る。
旨すぎもしない、不味くもない、丁度予測がつくあたりの旨さ。
五百円丁度の旨さだ。
旨い、だがこれ以上に旨いものも知っている、そんな旨さ。
平日にはそんな旨さで丁度いい。
この五百円分の幸せがあれば私にはそれでいいとさえ思える。
明日もまた平日で、明日私に襲いかかってくる忙しさも今のうちから予測できる。
幸せすぎない幸せが明日を生きる活力になるだろうから。
そんな小さな幸せを文字通り噛み締めながらも、意識は食べ方にも注がれる。
意識してたまに箸から手を離してみたり、温かいお茶を淹れてみたりして食事の時間を引き延ばす。
そしてとうとう最後の一口、米一粒も残さずに完食。
ゆっくりと優雅に食べる牛丼という理から外れた消費に現れる非日常感に浸る。
しかし、食べ終えたすぐ後に流し台でテイクアウト容器の汚れを流す。
忙しなさを嫌っていても、私も少し忙しないと小さく笑ってしまう。
この世とシームレスに繋がっている感覚がその時少しだけ体を走った。
そんなもんでいい。
人生はこんなもんでいい。
そう、思って。
思い込んで生きていく。

どりゃあ!