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噓日記 12/21 お笑い芸人

毎年この時期になると少しだけ後悔することがある。
お笑い芸人達の賞レースにかける熱い思いに当てられて。
芸人たちの日常を動画配信サイトで見てみると、売れていなければ貧乏生活、舞台よりもアルバイト、芸人仲間と共同生活、なんて現実を目の当たりにするのだが、そんな彼らは言わば青春の延長線。
青春とは辛くも楽しく、ただ自分を信じるフェーズにいられる時間なのだ。
私たちが青春を半ばで打ち切って、自分に区切りをつけた延長線を彼らは等身大で謳歌している。
生活に困窮していようと夢を追う姿はどこか爽やかで、そんな彼らが賞レースの舞台で花開こうと躍起になる姿は素直に応援したくなる。
彼らにとってその賞レースは、我々が部活で体験する大会であり、その決勝ともなれば国体であり、甲子園であり、花園なのだ。
その姿を見届けねばならない、もはや義務にも思えるほど私は彼らの芸にかける情熱に当てられている。
私は今まで彼らのように何かに必死になってきたことがあっただろうか。
部活にしても、勉強にしても、仕事にしても。
どこか安全な、この場所から追い出されることはないという安心感の中で惰性で生きてきてはいないだろうか。
私はこの時期に人生を後悔する。
彼らは決して安全圏にいない。
自らで守らなければならない脆弱な足場をその身で持って全力で守り抜いている。
芸人はまず自らと戦っているのだ。
その足場から脱落していく者、自ら戦いから降りていく者、別の足場に飛び移っていく者。
そんな屍の中、ただ芸だけを持ってこの世界で生き抜いていく、そんな覚悟をもった若人達。
応援せずにはいられない。
そんなことをつらつらと記す私も一時、芸人を志したことがある。
誰にも言ったことがないのだが、スタンダップコメディのような漫談を日本に齎したかったのだ。
しかし、喋りだけで聴衆を引き留められるほどの話術を持ち合わせていない。
そこで何か目を引くためにと、和装をし、ギターを持ち漫談をするスタイルを考案した。
聴衆に小さな違和感を抱かせることから始めたのだ。
スタンダップコメディよろしく差別や偏見をユーモラスに語り上げる。
ギターで節なんかつけてみて、最後はお決まりのフレーズで落とす。
自宅で一人、稽古をしながら舞台に立つ日を夢見ていた。
そんなある日、テレビを見ていたところ、舞台に和装でギターを弾く男性が出てきた。
節をつけて芸能人の偏見を語り、最後はお決まりのフレーズで落とす。
私と同じだ。
私の芸風はギター侍こと波田陽区と全くもって同じだった。
そこで私は芸人を諦めた。
残念。
現在の私は人通りの多い交差点などで身に纏った羽を広げ、フェニックスと叫ぶ芸を考案中だ。

どりゃあ!