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噓日記 9/21 可愛いと立ち行かなさ

昨今の流行キャラクター事情から、可愛いという属性に訪れた変化について考察したい。
今にして過去の人気キャラクターたちを紐解いていくと彼らの持つ可愛いという属性は酷く記号的であったように思える。
赤子のように頭部が大きなデザイン、顔の下半分にパーツの多くが配置され、各パーツのうち目などの印象的な部分が比較的大きく、口や鼻などのディティールにおけるノイズになりがちなパーツを小さくもしくは完全に廃したキャラクターが多く見受けられた。
それは人類普遍の好感を持ちやすいデザインであることは確実だろう。
人間が生まれながらに持つ機能として、赤子のような庇護欲を掻き立てられるものに対して愛着を抱くというものがある。
それらのキャラクターはそんなプリミティブな訴求、つまり本能に訴えかけるデザインが成されてきたのである。
だが、記号的という言葉の通り、過去のキャラクターたちは自我が希薄で彼らの精神性まで深く考察される余地が少なかったという印象は拭えない。
そんなキャラクターデザインについての手法は現在でも可愛いキャラクターを生成することにおいて、メインストリームにして軸となる考え方であるのは間違いがない。
しかし、昨今の流行キャラクターたちが持つ可愛さの属性にはプラスアルファの拡散性が求められている。
そのプラスアルファとは、即ち不憫さである。
見た目だけでなく、行動などに不憫を散りばめるキャラクターデザインが現在のキャラクター界を席巻している。
それは何故か。
キャラクターを生み出し、それらが広く波及するためにはまずSNSなどのプラットフォームで話題に上がる必要があるためだ。
そこで武器となるのが不憫さである。
不憫とは母性や父性といった庇護欲を掻き立てるだけでなく、人間の持つ嗜虐心を掻き立てるのにも作用する。
これは過去の自我が希薄なキャラクターには出来なかった、愛と攻撃性を同時に刺激できるマーケティング手法なのだ。
くすぐられたのが母性や父性、嗜虐心の何であろうと何かしらのアクションを引き起こすためのトリガーになるのだ。
悪名は無名に勝るとはこのことであり、泣いているキャラクターを慰めてやりたいと思う気持ちも蹴り飛ばしてやりたいという気持ちもSNS上では同様にインプレッションを増加させる一因でしかない。
そんな数値を稼ぐための武器となるのが、キャラクターの持つ報われなさなのである。
現在の可愛さとはそんなキャラクターの立ち行かなさにフォーカスされている。
我々の抱く可愛いという感想は、誰かの失敗を見たいという横柄な立ち位置から生まれているのだ。
皆さんもぺたぺたみにりあんの応援をよろしくお願いいたします。

どりゃあ!