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噓日記 10/26 騒音について

仕事の途中、コンビニに寄って駐車場で肉まんを食みに食んでいたところ、国道を爆音で走り去っていくバイクが居た。
ブンコロブンコロと耳障りな音が辺りに響くので、自然とそちらの方へ目が入ってしまう。
爆音の割にはそんなにスピードは出ておらず、ライダーの姿も目視できる程度。
乗っていたのはその辺のガリガリの若者といった風体。
バイクの排気量と偏差値を合わせて280といったところ、そんな見てくれをしたどこにでもいる若人だった。
以前から疑問に思っていたのだが、バイクをブンコロブンコロ鳴らすのは何か意味があるのだろうか?
正直なところあの姿はセミの求愛行動を見ているようで滑稽でたまらない。
私はバイクに興味もなければ、免許もないのでその行動の真意が掴めないのだが、大半のバイク乗りはそんな音を鳴らさず善良に走っているので、恐らく走るという行為には必要のない轟音なのだろう。
つまりあの音は見ての通り、求愛行動で間違いないだろう。
あれでメスが寄ってくるのならメスの方もいつか難聴になると思う。
というかあの音を鳴らしているライダー自身は難聴にならないのだろうか。
いくらヘルメットを被っていても自身の近くであれだけ大きな音が鳴っていたら耳へのダメージも相当なものだろう。
というか、運転に集中できないだろうに。
私は普段車を運転する時、周りへの集中が切れないように音楽を聞かないようにしている。
車という鉄の塊の持つ殺意について、自分自身で常に意識し続ける必要があると思うからだ。
少しでも気を抜くと死角に入り込む自転車や原付、歩行者の存在に気付くのが遅れてしまう。
あんな危ないものを自身で動かすのならば、そこにある危険に常に気遣い続ける必要があるだろう。
だが、あのバイク乗りはそうじゃない。
ブンコロブンコロに必死だ。
あれじゃあ緊急車両のサイレンやクラクションの存在にも気付きづらいだろうに。
あのブンコロブンコロは若気の至りなのか、それともそれがかっこいいという文化圏特有のものなのか、バイクに乗らない私には窺い知ることができないものだがどうか安全に運転して欲しいものである。
公道とは即ち公の道、皆が往来を行くための道である。
彼らの鳴らす音がもしかしたら誰かの安全を損なっているかもしれないという自覚があれば自然と音など鳴らさなくなるだろう。
そんな祈りを込めて彼を見つめ、私は街宣車に戻りスピーカーのスイッチを入れた。
演説はセーフだ。

どりゃあ!