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噓日記 1/26 空間の死

ある空間に立ち入った時、ここには生の気配も死の気配も存在しないと感じたことはないだろうか。
荘厳とも思えるほどの虚無。
そんな感覚を覚えたことはないだろうか。
俺はない。
さて、本日は金曜日ということで今週中にしなければならないことたちに忙殺された。
月曜から木曜まで直視しなかった仕事たちが一気にのしかかってくる。
ちゃんと俺が悪い。
しかし、この後回しにする癖と日々の区切りの相性の悪さはどうにかならないものだろうか。
平日が五日間あったら俺は確実にペース配分を狂わせてしまう。
俺は金曜日の俺に全幅の信頼を寄せ、ついでに全ての責任を押し付けて生きている。
俺の人生を振り返ると一週間、七日間という気持ちの悪い区切りに人生を滅茶苦茶にされてきたように思える。
あーあ、一週間が二日だったらいいのに。
そうしたら完全週休二日制で毎日がお休みなのに。
そして二日とも……同じ人を好きになる。
チュッ。
世界のシステムとの相性の悪さからか、シームレスにこんな世迷言を宣うターンが人生に何度もやってくる。
それはそう。
もうこっちはおかしくなってんだから。
世界もおかしくなれという祈りを込めた世迷言。
世界はそれを「願い事」って言うのかもしれない。
話を戻すが正気になって考えると一週間ってまあまあキモい。
七回寝て起きたら一単位の区切りってちょっとセンスないよね。
多分、今の世の中に合致してるのは三日一単位とかだと思う。
二日働いて一日休み。
それで一単位。
それだったら俺ももうちょっと生きやすいのにな。
一日しか溜め込む余裕がなければ俺の逃げ癖もそこまで重く捉えなくて済むのに。
しかし、世界は俺が望むようには変わってくれないことはもう重々承知している。
世界は俺のような弱者に寄り添わない。
淘汰の末に出来上がっているのが現代の社会だ。
俺が世界に適応していく必要がある。
そこで考えたのが一週間火曜始まり理論。
月曜始まりとか日曜始まりはよく議論されているが、火曜始まりは初めて聞くだろう。
ワクワクするよな。
火曜から金曜まで仕事を溜め、翌月曜日にそれらを片付ける。
やっていることで言えば現在となんら変わりがないのだが、精神的余裕が違う。
金曜までにやらなきゃじゃない。
月曜にやってしまえばいいというメンタルでいられる。
休み明けの元気元気のんたん状態の俺なら仕事もちゃんとやるはずだ。
いや、どうだろう。
やらないかも。
月曜のこと休日の延長戦だと思ってるきらいがあるし。
やらないです。
仕事、やらないです。

どりゃあ!