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噓日記 9/25 知覚する苦しみ

テレビを見れば暗いニュース。
PCを開けば暗いニュース。
スマホを触れば暗いニュース。
日常にはいつだって靄がかかっている。
暗く重たく、そしていつだって湿度を伴った悪意だけが満ち足りている。
それから逃れたくて、それでも誰かと繋がりたくて違うデバイスに逃げ込んだとしても、同じように悪意はそこにある。
誰かが盗み、誰かが盗まれ。
誰かが不貞を働いて、誰がが不貞を働かれ。
誰かが殺し、誰かが死んでゆく。
知りたくないから目を閉じても流れ続ける音からは目を逸らせない。
知りたくないから耳を塞いでもチカチカと閃き続ける光から耳が離れない。
そしてそれらがどうしても嫌になって叫ぶ口からは同じように悪意だけが垂れ流される。
暗いニュースは見たくない。
暗いニュースは聞きたくない。
暗いニュースは知りたくない。
知覚できないことが幸せであると人間は赤子の時に知る。
少しずつ何もかもが分かっていくに連れて、何もかもが分からなかった時代への回帰を渇望する。
願っても届かないまま渇いたままに、枯れ枝のように死んでいく。
肉体も魂も渇いていく。
自分の中でどうしても守りたかった魂の一番柔らかい部分に影はどんどん落ちていく。
細胞壁が壊れたように魂の外殻は少しずつ滲み出して、触れられたくない場所に靄が少しずつかかっていく。
靄と自分が少しずつ一つになっていく。
自分自身が悪意へと変容していく様をまざまざと知覚しながら、それを拒むことも受け入れること出来ないまま、あっという間の永遠がいつの間にか飲み込んでいく。
影だけを抱えて生きていく。
影さえ自分として生きていく。
暗いニュースは見たくない。
暗いニュースは聞きたくない。
暗いニュースは知りたくない。
知りたいニュースなんて一握り、だがそれを知るまでに要らない道を必ず通る。
その道程の情報というゴミを拾いを続けるせいで、荷台はどんどん重くなる。
重い車体で悪路を進めと、エンジンだけは力強く動き続ける。
ハンドルを握る手にも、アクセルを踏む足にももう力なんて入っていなくても。
進むことだけ義務付けられて人間は知ることに苦しみ続ける。
知りたいニュースはたった少し。
動物園でパンダが生まれたニュース。
グラビアアイドルがアダルトビデオに出演するニュース。
インフルエンサーが炎上したニュース。
贔屓の球団が勝ったニュース。
流星群の見頃のニュース。
近所の幼稚園児が七夕を祝ったニュース。
それだけでいい。
ただ、それだけで。

どりゃあ!