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噓日記 8/21 日記の書き方

日記を書くのが好きだ。
日に一度、自分と向き合う時間がある、そう考えるだけで自分を愛してやれるような感覚が増す。
日記を書く時間というのは私にとってそのまま自己肯定感を培う時間なのだ。
そんな時間だからこそ私は自分の言葉に嘘をつきたくない。
飾ればいくらでも綺麗になる毎日を、自分の目で見たまま等身大の小汚さでちゃんと残していく。
魂だけをその言葉に宿らせる。
出来る限り飾らず、平坦で、それでもちゃんと熱を持った、そんな日常を綴っていきたい。
数年後、数十年後に日記を見返した時、その時感じた香りも、熱も、何もかもを思い出せるような。
私にとって日記とはそんな私の日々を欠片にして封じ込めるものなのだ。
それだけの熱量を持った日記だからこそ、私には自分に課したルーティンがある。
言い換えるならば、これこそが私における日記の書き方の作法なのだろう。
その作法はたった一つ。
書く前にしこたま酒を飲むこと。
帰宅してから晩飯を摘み、その際にウイスキーを飲みまくる。
純氷をなみなみ放り込んだグラスにウイスキーを雑に流し込んで、炭酸水で割って飲むのだ。
そこからはもう流れで書ける。
宅飲み、特に一人飲みはペースも上がりやすく、酔いやすい。
ウイスキーの瓶の半分程度を空けて仕舞えば、心地よく酔えている頃だろう。
その頃にはやや視界が霞み、それでも意識だけはしっかりしていて気持ちよさだけが場を支配する。
そこでようやく日記をつけはじめる。
霞んだ視界は焦点が合わず、何度も何度もミスタイプをするがそれも気にしない。
素面で書いたらもっと早く書けるだろうな、なんて笑いながらもそのミスさえ乗りこなす。
前述の通り私は自分の日常を彩らない。
言葉を嘘にしないという矜持だけが私のライティングのスピードを上げる。
嘘はつかない。
酒を飲んだ私はいつだって正直だ。
私と社会の交わる境界を曖昧にして、剥き出しの魂だけで筆を執る。
明日の私に残したい言葉は自然と酒が教えてくれる。
酔っていても綴りたいことは止めどなく溢れ、明日への希望だけが指を動かす。
これが私の日記の書き方だ。
以前この書き方を泥酔した日に試し、翌日書いた日記を確認すると旅先で行きたい場所一位:ソープランドと書いてあった。
魂がむき出しすぎる。
泥酔じゃ使えない技。
ほろ酔いで使うべき技。
明日の私もほろ酔いで筆を執り、また明日の日常を刻み込む。
楽譜のように、いつの時代にも伝わる普遍的で平坦な文章を。

どりゃあ!