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噓日記 10/24 ロゴT

近所に住む若いヤンキー夫婦がいつものお礼と言ってブランド物のボックスロゴTシャツをくれた。
これで何度目か分からないほどロゴTシャツを貰っている。
彼らの子どもが好きかもしれないと貰い物のフルーツやお中元のゼリーをそのまま彼ら宅に流しているだけなのだが、思いの外ウケが良いようで律儀に毎度お礼をしに来てくれる。
若いのに殊勝なものだと感心すると共になんだか申し訳ない気にもなる。
彼らの、お礼にロゴTシャツを渡すという文化は正直よく分かってないが、若い夫婦が自分たちの好きな物を渡している感じがして好感が持てる。
近所の関係は上手くバランスを取っていくとこんなふうに思いもよらないコミュニケーションが生まれるから案外面白いものだ。
さて、問題はそのロゴTシャツだ。
私は正直、デカデカとブランド名が印刷されたものが得意ではない。
大きくロゴが印刷された衣類を自ら進んで買ったことはなく、ロゴが入った物を買ったとしても胸に小さく刺繍された物程度が限度だ。
大きなロゴはそのサイズに比例するかのように、なんだかそのブランドを背負っていく自負みたいなものを強要されている気がするのだ。
まぁ、それは冗談としてそのブランドをアピールしている感じが正直なところ苦手なのだ。
だから私は今回の主題となっているブランド物のロゴTシャツのみならず、ブランドのアイコニックなアイテムを着用することがどうしても出来ない。
ブランドに着られているような、もしくはブランド品でしか自己表現が出来ないと思われてしまうような気さえする。
あくまで私の自意識がムクムクと無意味に育っているだけなのでロゴTシャツを否定する気は一切ないのだが、どうしても自分の中で折り合いがつけられないのだ。
だが若い夫婦の好意を無碍にするわけにもいかない。
しかし、衣類とあってはそこに好みが介在するのは仕方がないことだろう。
だからいつも貰っている時と同じ手法で、彼らに会う用事がある時にそのTシャツを数回着用したら、いつものように甥っ子にそのままお下がりとして渡してやろう。
甥っ子くらいの年齢だとそのブランドだと一目で分かるものが案外嬉しいらしい。
ここが年齢によるボーダーラインかもしれない。
若さに着せるのがブランドの戦略ならば、老兵はただ消え行こう。
ここまで偉そうに自意識のせいにして語ったが、自身がブランドに相応しい人間でないと思っているから着られないというのがどちらかというと正しいのかもしれない。
自分の価値をまだ信じられる若い夫婦と我が甥っ子に乾杯。

どりゃあ!