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噓日記 11/19 心霊番組と夏

俺はテレビの心霊番組が好きだ。
真面目なノリで心霊写真を霊能者が取り上げるようなものから、芸能人がワーキャー言いながら怖い思いをするようなものまで、広いジャンルで心霊を扱う番組を好んで見てきた。
これはただ恐怖を味わいたいという単純な動機からではない。
俺は心霊スポットに行くといった「自分自身が怖い思いをする」体験は嫌いなのだが、心霊番組のように「誰かが怖い」という状況を観察するのが好きなのだ。
誰かの怖い思いを疑似体験しつつ、その経験に寄り添うという楽しみ方が程よく肝が冷えて、程よく他人でいられる丁度いいラインだと思っている。
当事者意識を投影しすぎると怖くて寝られなくなるのも理由の一つだ。
さて、そんな俺が愛してやまない心霊だが、それに対するアプローチが少しずつ姿を変えている。
現在ではホラーのコンテンツ化が進み、昔に比べてアクセスする動線が増えてきている。
動画配信サイトで心霊スポット系の投稿者や怪談師の語る怪談などにいつでもアクセスすることができる。
そんな動画も大変興味深く面白いのだが、俺はあえてテレビにおける心霊番組の変化について語りたい。
近年では心霊番組がテレビから少しずつ姿を消している。
放送倫理だか青少年の育成だか保護者からのクレームだか知らないが、テレビが心霊を扱うことから離れ始めたのだ。
俺は子どもの頃から夏が来てはテレビで流れる心霊番組を見て、暗闇が少し怖くなって、またそれを忘れて、また心霊番組に齧り付く、そんなふうに育ってきた。
そんな夏の風物詩がテレビから姿を消していく様は俺の子ども時代を否定されているようでどうにも落ち着かない。
たまに扱ったと思っても2時間特番で海外の有名な映像を再生したり、あからさまな合成映像を流したりと、幼い頃に見てきた心霊番組のようなジワっとした生温かい恐怖からは少しずつ道が逸れてきている。
これを俺はホラーの専門化が進んでいるからだと思っている。
昔のテレビ番組ははっきりと言って仕舞えば、心霊、呪物、ヒトコワなどジャンルのごった煮だった。
だからこそ次に何がくるのか予想ができない、という意表を突くような恐怖が味わえたのだ。
現在は動画投稿者はその専門性へのアクセス、テレビ番組はそのホラーの表層へのアクセス、といったような棲み分けが始まっているように思える。
だが、俺はあえてこのテレビに厳しい時代にこそ心霊番組をもっと増やしてほしいと思っている。
CMに入って小休止、その時感じる背後の気配に恐る恐る振り返る、そんな日常にシームレスな恐怖がテレビの心霊番組にはあったのだ。
CMという一拍は、俺たちの恐怖体験に少しの安堵と緊張を与えてくれる。

どりゃあ!