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噓日記 1/1 新年あけましておめでとう

新年あけましておめでとうございます。
今日だけで七万八千回言った。
あと四十年くらい生きるとしても死ぬまでに三百十二万回くらい言う計算だ。
ここで問題提起をしておきたい。
勝手に暦を作っておいて、勝手に年が明けたくらいでおめでたがるの、もうやめないか?
俺の人生の大切な時間を簡単に奪わないでほしい。
一日って八万六千四百秒しかないんだよ。
そのわずかな時間で七万八千回もあけましておめでとうと言うこっちの身にもなってほしい。
秒間一回くらい言わないと一日の後半にあけましておめでとう負債を抱えることになるので、年明けは午前中から大忙し。
舌も新年早々グルグル大車輪の活躍だ。
夜には舌もズタボロになってしまう。
正直もう負担も大きいので新年の挨拶をやめたい。
しかし、問題提起しつつもやめるために何か行動を起こせているわけではない。
俺はずっと言いたくもない新年の挨拶を毎年続けているのだ。
だが、せめてもの抵抗ということで手を抜くことを覚えた。
体の負担を最小限にするために必要なのが力のコントロール。
力感なく口を動かして、必要最低限の力であけましておめでとうございますと言う能力だ。
長年続けてきた習慣もあって、俺の口はあけましておめでとうございますに最適化された形に進化している。
丁度ハゼと同じ形の口をしている。
ハゼはあけましておめでとうと最初に言った魚が進化した種らしい。
諸悪の根源はそいつら。
最近はもうなんならあけましておめでとうございますって言ってない。
昔はアケメネス朝ペルシアって言ってたけどバレてボコボコにされて以来やめた。
でも、懲りない。
言いたいことを言う。
あけおめとも言わない。
最近はあけみって言ってる。
あけみの話は信じるなとも言ってる。
心なんてこもってない。
実に空虚な挨拶だ。
しかし、あけみという名の元カノが居なくて本当によかった。
これがチアキとかだったら毎年フワッと嫌な思いしてたかも。
チアキとか一番縁起悪いからね。
次にチアキの地元に行ったら俺は多分刺される。
縁起が悪い。
さて、今年もまた一年が始まった。
こうやってあけましておめでとうございますと言う時間のように、時間を無駄にすることもできるし、あけみと言う時間のように、時間を有意義に使うこともできる。
俺たちはどう生きるか。
俺たちはどう生きればいいのか。
そんな命題に直面しつつ、ただ前を向いて歩いていく。
それが俺たち人間に与えられた責務なのだ。
俺たちは考える葦なのだから。

どりゃあ!