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噓日記 1/10 咳達磨

数日前から原因不明の咳が続く。
原因不明とはいうものの、十中八九ただの風邪だとは思うのだが。
一週間弱続いているので少し心配だ。
さて、そんな咳や、くしゃみ、鼻水といった風邪の諸症状が生活に及ぼす影響は案外大きい。
まず、体を休めるために寝ようと思っても、その睡眠が満足に取れなくなるのだ。
それが一番苦しい。
眠れず消耗して、また体が辛くなる、そんな負のスパイラルをこの咳、くしゃみ、鼻水は巻き起こしてしまう。
現に俺も昨日の晩は自分の咳で目を覚まして、浅い眠りの中で夜が明けるのを待った。
今日は、満足に睡眠が取れていない息も絶え絶えの状態で仕事をしたからもう大変、仕事は進まないし、体の調子は悪いしでやってられない。
半分起きたまま気絶しているのと一緒だった。
かといって俺だって咳を落ち着けるために何もしなかったわけじゃない。
抗いはしたのだ。
喉に塗るスプレーも、飲み薬も、のど飴も、試せる限り全て試してみたものの、そのどれも効いている感じがしないのだ。
咳は反射で出るらしい。
そのどれかが効いていたら咳もスッと治ってくれるはずなのだが。
一日中コンコンと乾いた咳をし続けているので、体も痛い。
あと数日続けば恐らく肋も折れるだろう。
咳はQOLを著しく下げる。
もはや俺は今、咳達磨と化している。
咳達磨とは山陰地方に伝わる古い伝承が現代に伝わったもの。
昔、ある僧侶が悪霊を退治した後、百日間激しい咳に襲われた末、そのあまりの苦しみに肋骨を自ら叩き折り、滝壺に身投げしてしまった。
それを村人たちは僧侶が退治しようとした悪霊の仕業であるとして、その僧侶の亡骸を引き上げ、祀り上げる対象にして悪霊を鎮めようとした。
身投げされた滝にあった巨岩に僧侶の顔を彫り、その近くに川の水を使った鹿威しを設えた。
コーン、コーンと鳴り響く鹿威しが、まるで僧侶が咳をしているようで、村人たちは失った僧侶のことをいつまでも忘れなかったという。
その巨岩が今日も残り、咳達磨と呼ばれているそうだ。
ただここで一つ疑問が残るだろう。
大昔に作られた鹿威しから付けられた咳達磨という巨岩の名前についてだ。
もうその鹿威しは朽ちて存在しない。
だが、その岩は今も咳達磨と呼ばれている。
その理由は単純明快。
今もなお、その辺りでは響くのだ。
コーン、コーンという鹿威しの音ではない。
ゲヘッ、ゲヘッと明らかに血の通った、そして水分を伴った苦しそうな咳の音が。
咳達磨と化す、それは山陰で伝わる言葉で咳が止まらなくなるという意味である。
そしてもう一つ。
死を待つという意味でもある。

どりゃあ!