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噓日記 11/22 いい夫婦の日に、特撮について

元祖私人逮捕系こと特撮ヒーローについて、私は幼少期から一度もハマったことがない。
今風ではない言い方になるが男の子向けの特撮ヒーローというものの魅力がいまいち私にとってピンとくるものではなかったのだ。
学校の友人と話を合わせるためなど、少なからず必要に迫られて視聴したことはあるのだが、心から楽しめたかと聞かれれば否だ。
話の大筋として、日常を乱す敵が現れ、撃破、敵が巨大化、合体する巨大ロボで撃破、という流れがテンプレートとして存在することに発育のわりと早い段階で気付いてしまったが故に、視聴がそのまま答え合わせをしているようなものであると思ってしまったことが原因だと思われる。
子どもの時点で今回はこういうルートなのね、という可愛げのない俯瞰でストーリーを追っていた。
そういったお決まりを楽しむことが特撮ヒーローの楽しみ方であるということに当時は気付けていなかったのだ。
大人ぶった子どもの視点ではそんな予定調和がどこか与えられた娯楽のようで薄気味悪く感じてしまう。
そして、それを喜んで視聴する友人たちも同じように与えられた娯楽を享受することに甘んじる愚かな者たちだと思っていた。
昔から私は性格が破綻していたようだ。
本来ならばそういったヒーローものは、視聴することで勧善懲悪や弱きを助け強きをくじくような優しさを学ばせたいという意図があって放送されているのだろう。
だが、その時の私が受け取ったのは与えられた娯楽への疑いだけであった。
これが面白い・正しいのだと押し付けられることへの違和感。
世間一般が評価している、という評価基準の物差しへの嫌悪。
特撮ヒーローを視聴して歪んだ第一の人間かもしれない。
性的嗜好が特撮ヒーローによって歪まされた人間は多いらしいが。
ということもありその時に生まれた歪みは後の人生に大きく影響することになる。
人生の序盤に生まれた小さな歪みの角度は、年を経るごとに少しずつ他者との差として顕在化してくる。
一般的な人間の社会規範に符合しない倫理観をもしかしたら私は持っているのかもしれない。
眉唾物だと思っているがサイコパステストやソシオパステストで引っ掛からなかったことがない。
私が当たり前だと思って見ているこの世界のこの視点はもしかすると、世間的な正しさからは乖離しているのかもしれない。
そんな乖離を自覚しつつも、進むしか許されない我が人生へ、罪悪感だけ募らせながら。
私は今日も生きている。
あと、アメコミも見ない。
似たような物らしいし。

どりゃあ!