軸になる部分とフェイクレザー

軸になる部分は誰にでもあって、多分、僕にもある。

その軸の部分というのは非常に幻想ライクなものであって、
本人からすると、自分の核だと思っているのだが、

意外に他人からすると非常にどうでもいい
ただの自意識のパズルのピースの一つである。

他人はそのパズルのピース一つから
その人(僕)に関する全体像をいろいろ類推することができる。

なので、僕の像、イメージは、
人によってまちまちで、それこそが社会人ということなんであろう。

すごくふわふわとして時間帯によって異なる見え方をする自分の、像

僕がレザーを着ているか、フェイクレザーを着ているかなんて
誰も気にしてはいない。

ただレザーっぽいやつを着たぐしゃぐしゃとした弱いやつが、
雨風や目線にさらされながら、ただ、そこにいる。

生きるってそんな感覚になることも、ある。


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