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ヴァージンVS過去・現在・未来 31~コズミック・サイクラー~


~「コズミック・サイクラー」から「星空サイクリング」へ~
 
1982年7月発売のアルバム「STAR★CRAZY」からシングルカットされた「コズミック・サイクラー」

「コズミック・サイクラー」ジャケット

私は中学時代自転車が大好きでありました。
我が家の大人用自転車は、父親の仕事関係で必ず「中山太陽堂クラブ号」自転車でした。
うんっ?「中山太陽堂」って化粧品の会社ではないのか?
っと思われる方もいるかと。
中山太陽堂はクラブコスメチックとして明治時代から続く化粧品の老舗です。
ここが自転車も作っていました。

                   クラブ号自転車

他にも歯磨きでご存じの「サンスター」も元々は自転車を作っていた会社であり、太平洋戦争中は南方で「銀輪部隊」という、移動行軍に自転車を使用する陸軍部隊にも自転車を供給していたといいます。

銀輪部隊

 サンスターの場合は戦争が終わりさてどうしようかということになり、パンク修理用のゴムノリを入れるためのチューブを応用し、チューブ入り歯磨きの生産に移行し大成功。

なにやら、第二次大戦が終わり、ビング・クロスビーさんからマグネトフォン(テープレコーダー)の製作を依頼されたアメリカ西海岸の航空機部品メーカーのアンペックスにも通ずる話。

マグネトフォン

 私はこのクラブ号自転車の外装三段、ドロップハンドルの自転車を手作りで改造。前のギアを2枚にして6段変速、タイヤもオープンサイドのクッション性の高いものに交換し、「小旅行仕様車(ランドナー)」タイプにチューンナップ。タイヤのブレも自前でスポークを締めたり緩めたりして調整しました。

写真はサンスター自転車

実は兄も相当な自転車マニアで、最初はクラブ号内装3段の実用車でしたが、そのハンドルをドロップハンドルに交換(ステムと径が合わず町の鉄工所というか鍛冶屋に溶接を頼み、角度が気に入らず思わず触ってやけどをし、手にグリースを塗って帰ってきました)なおかつ外装のギアも取り付け9段変速にしたり、さんざん改造を施した結果、結局は大阪「城東輪業社」の名車「ワンダーフォーゲル号」を購入。以来色々な自転車を乗り継ぎ、つい最近までサイクリングを楽しんでおりました。
この改造自転車に乗って、時には兄と一緒に、時には一人で神戸や六甲山、京都や琵琶湖まで行きましたが、高校生になるとバンド活動も本格化し、通学や移動の足はもっぱら足漕ぎエンジン付きの「リトル・ホンダ」になりました。

映画「個人教授」でルノー・ベルレーがナタリー・ドロンを後ろに乗せパリの街をビュンビュンと今でも乗りたいリトルホンダ

 このように自転車好きだったので、自転車の歌を作りたいと思って形になったのが「コズミック・サイクラー」です。
「サイクラー」という言葉があるのか?とレコード会社の人から確認を求められましたが、中学生のころ、ナショナル自転車から「サイクラー号」という名前の自転車が発売されていたので、「あります!」と自信を持って答えました。でもこれが一般名詞ではなく商標だとまずいので今更ながら確認しましたが、大丈夫「自転車に乗る人」という意味でした。調べるのが40年遅い!!
 
「コズミック・サイクラー」が発売された夏のお盆休み(VSにはA児氏のおかげでお正月休みやお盆休みがありました、学校の寄宿舎のようですね)、我家恒例の丹後の宮津の花火大会から帰ってきた日の夕方、レコード会社より電話があり、今からポリドールまで来てくれとのこと、仕方がないのでそのころ住んでいた学芸大学前から「自転車」(ママチャリ)に乗って大橋のポリドールまで行きましたが、まさかそこで、あんな話が待っていようとは・・・


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