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ヴァージンVS過去・現在・未来 38~スターカッスルショー1~


~スターカッスルショーと打ち上げについて1~
 
JR目黒駅から目黒川へ向かって傾斜地を下る2本の道がある。
目黒通りと権之助坂。
権之助坂はビートきよし氏の「雨の権之助坂」で有名?かどうかは分からない。
 
この目黒通りの方を下る右側に、今や老舗となったライブハウス「目黒鹿鳴館」がある。
2023年現在、ビルオーナーから立ち退きを迫られているという報道も有。
私が専門学校教員時代には、学生の研修のため何度も行かせて頂いた。
 
この「目黒鹿鳴館」において、1981年9月17日~19日、ヴァージンVSは「ダディ竹千代と東京おとぼけキャッツ」と共に「スターカッスルショー(祭り)」を上演した。
この稿は、「スターカッスル」、「ダディ竹千代氏」、「東京おとぼけキャッツ」、「ライブの内容」等を記載するのだが、実はこのライブの印象は私と私のヨメにとってはその「打ち上げ」にある。
今でもこの時のことを話すと、二人して「ヒィ~!」となる。
強烈な打ち上げ芸を披露してくれた面々に今でも感謝している。
その「打ち上げ」会場である、たぶん権之助坂の庄屋にたどり着くまで、少々お時間を頂きたい。
 
まず「スターカッスル」である。
あがた森魚ファンにとっては「永遠の遠国」でおなじみであろうが、ここでは「ヴァージンVS」の「スターカッスル」について述べよう。
この曲は2枚目のアルバム「STAR★CRAZY」B面に収録されているが、私にとっては最初期1980年「Xバンド」のころ、この「過去・現在・未来10」に登場する、「Xバンド」の関西ツアー時のドライバー大和さんの部屋で聴かされたのが最初であった。
なぜ大和さんの部屋だったかというと、彼の部屋にはピアノがあった。
そのピアノをお借りしてA児氏は「こういうのがあるんだ」と歌いだした。
「スターカッスル」は稲垣足穂が昭和3年に発表した「星澄む郷」に収録された1篇らしいが、その後昭和61年「ヰタ・マキニカリス I 」に再収録されたとのこと。
しかし、私は渡された歌詞になったものしかわからない。
この曲をA児氏と私が交互に歌うという趣向であった。
初期ヴァージンVSにおいては「無機的」ということが重要視されていた。
それまでのオールドウェーブロックはあまりにも「有機的」でありすぎるという反動からの提言だった。
そこで私はこの曲を地蔵のごとく微動だにせず口だけを動かし歌うことに努めた。
それを見てダディ竹千代氏は、「なんか笑っちゃうんだよね」との評価。
笑かそうと思ってのパフォーマンスではないのに笑う人がいる。
これもまた一つの芸風である。
 この曲のレコーディングの時、リズム隊を録るときにもガイドで歌ったが、私のトラックはその時のものが使われている。地蔵のように歌うのだから、録りなおしても地蔵に変わりはありませんということだったような気がする。
なので、A児氏のヴォーカル部分と私のボーカル部分とではバックの音圧感が違う、なんてことはやってる方しか気が付かんだろうなあ。今となってはまあどうでも良し。

そこで、このダディ竹千代氏であるが、どこであがた氏との接点ができたのか私は分からないが、カルメンマキ&OZにまで遡るのであろう。
あがた氏はおとぼけキャッツの香港レコーディングにも行き、その時の食べ物のことがVSレパートリー「香港飯店」になっている。来る日も来る日も広東料理だったという話を聞いていたので、今でも「香港飯店」という言葉を聞くと、若干胸やけがする。

ダディ氏はよくあがた氏と酒席を共にしており、当時の三軒茶屋あがた氏宅でも会ったことがある。
同席していた誰かがトイレに行くためダディ氏の背中と壁の間を通ろうとしたところ、
「オレの後ろを通るんじゃない!」
と叱責。
同席していた木村シンペイ氏曰く
「後ろ通るなって、ゴルゴ13みたいだ」
ということになった。
近年この話をダディ氏にしたところ、たぶん酔っぱらって壁にもたれていたので、人を通すため前に移動するのが面倒だったのだろうとのことであった。若いころからオッサンぽい人だったな。
 
このダディ氏率いる「東京おとぼけキャッツ」と共に出演した「スターカッスルショー(祭り)」とは・・・
 
追伸
私の高校生の知り合いが在籍する高校生バンド「片腹痛い。」が今年度の全国高等学校軽音楽コンテストで見事グランプリ!!
https://www.townnews.co.jp/0304/2023/09/07/695740.html
でも受験勉強のためこれで部活は引退ですと。
やはり最近の子はマジメやね、これでよろしい。

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