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ヴァージンVS過去・現在・未来 29~ヴァージンVSとは1~

~ヴァージンVSとは1~

 5月21日のトークショーのネタとして考えていたもので、トークショー前にアップするとネタバレになるかと思い寝かせていたものです。
事前にアップしてもなんの問題もなかったかもしれませんが、とりあえずヴァージンVSとは何だったのか?ということを私なりに考えた事を書かせて頂きます。
因みにこれは、A児氏と何回か電話でやりとりしつつ考えたものです。
①まず、「あがた森魚」という歌い手に軸足を置いて考えると・・・
 あがた森魚はヴージンVSのライブやレコーディングを通して(その直近の乗物図鑑を含め)、それまでの「赤色エレジー」の延長線にあった自己の「歌唱世界」を、新たな斬新な領域に導き入れたのではないか?
 →これはご本人が語っていたこと。
ヴァージンVS以降、歌い方が変化した。
それまでは、いくらなんでも心の叫びは別として、あんな激しい「シャウト」や「アクション」、「ダンス」は出来なかったでしょう。
「あがた森魚」の表現領域を押し広げる結果になったのではないでしょうか。
 
②次に「ヴージンVS」というバンドの音楽界における特殊性に軸足を置いて考えると・・・
見た目はニューウェーブ風であるが、音楽的には、パンク、テクノ、アバンギャルド、フリーミュージック、プログレ、60年代ポップス、70年代ニューロック、アートロック!(当時はそう呼ばれていた)等々、全くジャンルを無視した「ごった煮」であった。
故に、ジャンルの中に安住する事で一体感と安心感を共有する事を好む音楽ファンにとって、非常に「扱いにくい」シロモノだったのではないか?
しかし、その「扱いにくい」シロモノから発する、非常にわかりやすい「ロンリー・ローラー」や「星空サイクリング」が、あるいはプロモーションのやり方によっては「ウインター・バスストップ」も、音楽ファンを越えた向こうに存在する「姿なき大衆?」に、届いたのではないか?
また、歌詞世界に於いても、およそ当時のニューウェーブと言われていたバンドが語る事もなかった、ブリキの玩具から発し、未来の黄昏の中、家路を辿る少年たちの姿が描かれていた。
この歌詞世界を「ごった煮」の音の中で、半ば哀愁漂わせ、ある時は声帯がちぎれ飛ぶように歌う「A児」。
これはすこぶる「特殊」なバンドと言えるであろう。
→そうなのです、ニューウェーブというお化粧を施した「ごった煮の特殊なバンド」だったと思います。
③メンバーに軸足を置いて考えると・・・
ひかるさんは別として、全員「ニューウェーヴァー」ではなく、れっきとした「オールドウェーヴァー」である。
私の事情しか語れないが、それまでの埒のあかないバンド人生を払拭したかった。
noteにも書いたが、欧米のロックミュージシャンと同じ土俵に上がるには、彼らの音楽的背景である「ブルース」「カントリー&ウェスタン」「ロックンロール」「フォーク」「トラッド」等々の黒人、白人双方の「ルーツミュージック」を我が物にしないと、彼らと同じようにはロックを作れない(これをやるとなると200年ぐらいかかりそう)。
っと思い、大学入学以来、「ウェストロードブルースバンド」→「田舎芝居」とやってきて、レコードデビューはしたが、想像もしなかった「芸能界」に放り込まれ、音楽をやっていく目的や目標を完全に見失い、日々のゲーノー活動に辟易しながら東京での日々を過ごした挙句の解散。
一人東京に残った私は、シンペイと知り合い、もがきながら音楽活動を続けていた。
そんな時、森魚ちゃんから「Xバンド」への誘いがあり、それまでの事は一度チャラにして、生まれ変わったつもりで、「ルーツミュージック」とは一見関係なさそうな「ニューウェーブ」の世界に足を踏み入れた。
なので、前職を語らず、化粧を施し、地蔵のようにギターを弾いた。
しかし「ニューウェーブ」でも、その根底にはちゃんとルーツがあり、私も演奏すると、結局は自分の「ルーツ」が出てしまう。
それは各メンバー、似たような事情だった。
→結果、ヴージンVSの音楽は良い意味での「ごった煮」状態であったと言えましょう。
「ごった煮」といえば「ビートルズ」がその権化。ビートルズというスタイルはありません。

次に、④レコード会社にとってのヴァージンVSというところを記したいと思いますが、かなり長くなりますので、次回にいたします。
よろしくお願いいたします。

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