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「神戸おでかけティップス」~ホテルの灯台~

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2024/1/17——
29回目の震災祈念の日、僕は港を目指して元町を南に向かっていた。

神戸には好きなスポットが数あるが、街でいうなら元町がいちばん好き。
繁華街の三宮にはない、新旧が織りなす独特な雰囲気が元町にはある。
〈ぐるめぐる神戸〉や〈アテンド神戸〉のコースに元町を絡めることが多いのは、多分に僕の好きなところにお連れしたいという思いがあるからだ。

兵庫県では震災祈念のこの日を「ひょうご安全の日」と定め、多くの震災関連行事が催される。
僕はそのひとつ、「灯台の特別公開」に足を運んだのだ。

灯台の公開? なぜそれが震災関連行事?
その謎を解くため軽く説明をしよう。

かつて三宮から元町にかけての一郭に、幕末の開港で上陸しはじめた外国人の居留地(居住区)があった。
今でこそ「旧居留地」などと呼んでオシャレエリアになっているが、はっきり言えば租界、つまり植民地だった。
(このエリア、2/24のぐるめぐるでは特に詳しく散策予定)

そこに明治元年頃、日本最古のホテル〈オリエンタルホテル〉が建った。

初代オリエンタルホテル(明治15年)

早くも明治中期には料理、サービスの質の高さが世界に知れわたり、東洋一と評されるまでになったホテルだ。

3代目オリエンタルホテル(明治40年)

その後オーナーも所在も次々変遷したが、一時は全国にチェーン展開して隆盛を極める。

オリエンタルホテルの変遷は以前こちらの記事にまとめている。
👉「どちらも思わずため息の漏れる極上のホテルだ

1964年、高層建築となった4代目オリエンタルホテルには屋上に公式な灯台が設置され、これが世界初のことと話題になった。
(出た! 灯台!)

しかし、1995年、阪神淡路大震災で被災し、ついに廃業。

被災直後の窓が割れた4代目オリエンタルホテル(平成7年=1995年)

同年、姉妹ホテルとして開業準備中だった〈神戸メリケンパークオリエンタルホテル〉が4代目ホテルの多くを引き継ぎ、この時、灯台も移った。

震災の半年後、平成7年7月7日午後7時7分に点灯式が挙行され、港に停泊する船からは汽笛が一斉に鳴り響き、777発の花火が打ち上げられたという。
震災を機に受け継がれた灯台はまた希望の灯であったに違いない。
だから震災祈念のこの日に特別公開されるのだ。

僕はその〈神戸メリケンパークオリエンタルホテル〉を目指した。

神戸メリケンパークオリエンタルホテル

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