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雪山に紡ぐセーター1

あれから何日立ったのだろう。
2枚の薄布を隔てた外はずっと薄暗く。薄明るく。今が昼か夜かもよく分からない。
静寂の中、パサパサと雪が布を叩く音だけが聞こえる。

寝袋から首を出し、体を起こす。「ふー。」ため息をつき、水を一口飲んだ。
水を入れたペットボトルは常に寝袋の中に入れておかないとすぐに凍り付いてしまう。
厚手のウール、ダウン、寝袋と重ねているため寒くは無いが、なんだか体の芯が冷えているような気持になり。その冷えが内側からジワジワと広がってくる。

ガサゴソと音がした。

「なんだ、起きてたのか。」
「祖父江さんがゴソゴソしてるから起きちゃいましたよ。」

自分の横で寝袋にくるまっているのは、山内祐樹。会社の後輩だ。

3時間ほど山道を登れば山小屋に到着するはずのコースで、登山ガイドブックにも「初心者向け」と書かれていたはずだった。登山口では快晴だったはずの天気は、あっという間に雲に包まれ、容赦ない雪と風に視界と方向感覚を奪われてしまった。

登り始めて1時間半程度。3時間コースのちょうど真ん中あたりで、視界は完全に雪に覆われ、登山道は全く見えなくなった。この時、小屋を目指して登るべきだったか、下山すべきだったのか、正解はよくわからないが、自分たちは降りる選択をした。
その場所まで登ってきたはずの足跡は完全に消えていて、ここまでの道のりの記憶と、下方向に歩いているという感覚で方向を決め、歩いた。
「あいつからもらったコンパスだけでも持ってきてたら違ったのかな」
こんな時にもっとも思い出したくない最低の大親友の顔が頭に浮かんだ。

こんな状態で、半ば当てずっぽうに歩いても正しい方向に歩けるわけがない。2時間歩いても登山口まではたどり着かず、現在地も完全にわからなくなった。

大きな岩と木が壁となり雪をさえぎっている場所を発見し、テントを設置した。
風にあおられる中でテントを張るのは困難を極めた。

何度も飛ばされそうになりながらも二人がかりで必死に布をおさえ、何とかテントを設置して潜りこむことができた。

モンベル製の雪山用テントにスノーフライのコンビネーションはさすがで、寒さをかなり遮断することができ、何とか一息つくことができた。
しかし、一息ついたのも束の間、2人の荷物を開いてわかったこと。
2人とも食料をほとんど持っていなかった。登山中に昼食として用意していた、おにぎりとお茶。夜に飲もうと思っていたウイスキーとスルメやナッツのおつまみ。
コーヒーとカップスープ。小さなチョコレート。その程度だった。
かろうじてバーナーを持ってきていたのは良かった。

テントの中でバーナーを点火し、コーヒーを作る。
テントの中で使っても良かったんだっけ?一応、テントの通気口は大きめに開いてみた。
コーヒーの苦みと暖かさには癒されたが、反動で現実をより明確に認識させられる。
テントに広げられたわずかな食料を見ながら、最低の大親友のことをまたもや思い出してしまった。 「実際の行程より1泊2日多めくらいの食料を持って行くべきやで」
そんなこと言ってたなー。

「とりあえず、しばらくじっとしてたら雪はやみますよ。今日は飲んで寝てしまいましょう」
楽天的な後輩の言葉にはげまされ、この日は酒を飲んで寝ることにした。

そこから、おそらくは2日程度たっているはずだが、雪はいっこうに止まる気配がない。
仮に雪がやんだとしても、膝上まで積もった雪をかきわけて歩くことは容易ではないだろう。
バーナーのガスは無くなり、食料も残りわずかとなった。
このままここに居続けるべきなんだろうか、イチかバチかで歩き出すべきなのだろうか。

「祖父江先輩。おれ、実は黙っていたことがあるんすよ。」
「なになに、この際だからパーッと言っちゃってよ。」
「いやー、実は、これ、あるの黙ってたんですよね。」
開いた手には、アメ玉が2つ。
「雪が止んで歩き出す時の、元気付けにとっとこうと思ったんですけど、、そうも言ってられないかなと。。。」
「いいじゃん、いいじゃん、そういうの大事よ。」
そういうのってどういうのだろうか。大事って何だろうか。
山内は疑問に思ったが、口には出さなかった。よくわからない勢いとで何とかしてしまうのが、祖父江先輩のいつものテクニックだった。このノリと勢いだけで何億もの商談をまとめてしまう姿を尊敬しているのだ。
考えているうちに、袋を破いてアメを口に放り込んでしまった。
「あ。。」
「こういうのはね、深く考えすぎないのが大事よ。」
こういうのってどういうのだろうか。。

東京は大田区の住宅街。マンションの一室。
午前8時半。暖かいコーヒーを片手にPCのスイッチをオンにする。
昨年夏から始まった自宅勤務はしっかり定着してしている。

携帯電話に見慣れぬ番号からの着信が入った。普段は出ないのだが、何となく気になって電話をとってみた。

「長野県警ですが。祖父江さんという方のお知り合いの青山さん。で間違えなかったでしょうか。」
「はい、そうですが・・・」

話の内容は 
・祖父江という人が行方不明で捜索願いが出ている。
・携帯電話やカードの使用記録が長野県の登山口付近のコンビニで確認されており、そこで途絶えている。

一緒に山に登ることが多かった自分が何か知っているのではないかということで、連絡があったようだ。残念ながらどこに登るとも聞いておらず、力になることはできなかった。
最後のカード使用履歴から1週間近く経過しているらしい。

彼と初めて山に登ったのは、2年前のことだった。山梨の山だったと思う。
2,000m超で、道のりも長くハードな登山だったがとにかく景色が良く、気持ちが良かった。
そこから何度か一緒に登山をすることになった。
彼は登山初心者で、自分は登山歴20年。
彼との登山は、天気が良く、トラブルもなく気持ちよく登ることができていたため、彼は「最悪のコンディションの山」を経験したことは無かったのではないかと思う。

半年ほど前から会社の仲間と山に登りだしたという話を聞いて、これはヤバイと思って、地図の持参やコンパスの使い方、食料を多めに持って行くことなど。山の危険と、安全に対する話をしたのだが、どこまで響いたのだろうか。地図とコンパスくらいは持っていったかな。テントや寝袋はいいものを持っていたので、うまいこと岩陰など、風よけのあるスペースを見つけてテントを張ることができれば、2週間くらいは耐えることができるのではないか。。。
そう思い、祈ることしかできなかった。

 1か月後 

金曜の夕方、新橋の居酒屋を訪れた。SLのある広場から道路を渡ってゴチャゴチャした通りを抜けた雑居ビルの1階。重い木の扉を開けると、6人くらいが座れるカウンターと4人掛けのテーブルが3つ。

顔なじみのマスターに声をかけ、まずはビールを1杯注文する。
突き出しのキンピラゴボウをつまみながらビールを飲み干す。
続いて日本酒と生牡蠣を3つずつを頼んだ。
この店は生牡蠣が売りで、全国各地の名産の牡蠣を生で食べることができる。
広島や岩手など、様々な産地の牡蠣があり、塩、レモン、もみじおろしや特製醤油など、それぞれの牡蠣にあわせた食べ方で食べるようになっている。
2人の席におちょこを並べ、2合徳利から日本酒を注ぐ。

1年ほど前に、祖父江君とこの店で飲んだ時に、後輩の山内くんを紹介された。
「体育会系でガッツあるやつなんだ、こいつも山に連れて行っていいかな」
そこから3回ほどこのメンバーで山に登った。

マスターには事情を説明している。
カウンターの自分の席の横に2席を確保してもらい、酒と牡蠣を並べて乾杯した。
あの日、2人は仕事の都合で遅れていて自分だけ先に飲んでいたんだっけ。
当時はコロナ規制も無く、店はにぎわっていた。混んでる店の中で空席を二つ空けてチビチビ飲むのが気まずかったのを覚えている。ちょうど一杯空けたくらいのタイミングでドアが開き「おまたせー」と二人が入ってきたのだった。
今でも、ひょっこりドアが開いて、「お待たせ―」とか言いながら2人が入ってくるような気がする。

すると、ドアが開いた。
2人の人影。

ドキリとした。

「すいませーん。今から2名いけますかー?」
若いOL風の女性が2名入ってきた。
「申し訳ありません、いま、満席なんですよ。」
マスターが困った顔をして答えた。

「マスター、大丈夫だから。横の席に座らせてあげて」
そう言いながら、横の席の牡蠣から身だけ取って自分の皿に乗せ、日本酒を2杯クイッと飲み干し、カラの牡蠣とおちょこをカウンターの脇に寄せた。

「お姉さん、いま、この席空いたから。良かったらここ座っちゃって!」
「えー、いいんですかー?待ち合わせとかじゃないんですか?」
「大丈夫、大丈夫、ぜーんぜん大丈夫。さささ、座って座って」
「あ、お姉さんたち日本酒飲む?良かったらこれいっちゃってよ。マスター、おちょこ2つお願い。」
2人の前に置かれたおちょこに、2合徳利からなみなみ注いだ。
「すいませんー。いただきまーす。おいしー。」

「今日はねえ、ちょうどビッグな商談が片付いて、パーッと飲もうと思ってたところだったのよ。こんなきれいなお姉さんが横に座ってくれたら、もう、最高だねえ。」
「へー、どんなお仕事されてるんですか?」
「いや、実はね。自分小さな会社を経営していて、セーターとか、シャツとかね。企画製造販売までやってるのよ。」
「え。社長さんなんですか!すごーいい」
「いやいや、そんな大きい会社じゃないからね。 そうそう、お姉さんたち、セーターとニットの違いってわかる?わかるかなー?」

「え。わかんないですー。糸が太いのがセーター・・・?」
「がははは、よしよしこれからじっくり教えましょう!おじさん、もうすっかりアメリカンポリスだからね!」
「??アメリカンポリスって何ですかー??」
「がはがはははー」

人は、常に前を向いてあるかなければならない。過ぎ去った日々を思いつつも、次のことを考えなければならない。失ったもの、手痛い失敗があったとしても、それを糧として、次に進まなければならない。
そう、「セーターとニットの違いわかる?」彼に何度か説明を受けたことだった。
セーターとニットの違いは・・・。なんだっけな。。
彼の思いを受け継ぎ、次へ進むための糧とすべく、彼の語る姿に思いはせるのであった。


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