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ミラノ回想録

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毎朝ウィーンのパン屋さんで [ヴィーナー•キプフェル(ウィーン風クロワッサン)ひとつ下さい!]と言っていた学生の私が、ミラノというもう一つのヨーロッパの都会から仕事人生をスタート…
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スポレートの夏

その夏は忘れられない夏だった。私たちのオーケストラはひと月の間、ウンブリア地方にあるスポレート(spoleto)というちいさな町で開かれる有名な音楽祭に招待されていた。アッシジの聖フランチェスコが‘神の声を聴いたか、幻視を体験したとも言われているこの町の中心にはドゥオーモと呼ばれるロマネスク様式の大聖堂があり、内陣はフィリッポ・リッピ(*)の見事な色彩のフレスコ画で装飾されている。私たちは毎日のようにこの聖堂でリハーサルをし、ファサードの下の冷たい石のベンチで涼んだり、おしゃ

音楽家のポートレート~Les portraits des musiciens

ユリウス ひどく落ち込んでいる時にわざとあれこれと予定を入れ、心身が麻痺するまで動き続けた挙句に寝坊して、一番大切な用事をすっぽかしてしまうのがユリウスだ。彼の砂漠のように果てしない心の空白は、休みなく動き回ることで辛うじて埋められていると言えるだろう。自分でもそれを知っている。 彼ほどはっきりと自分の欲しいものを知っている人はそう多くないだろう。それはまさに彼の心の中の砂漠をそっくりそのまま、得も言われぬ花の匂いに満ちた春の庭に変えてしまえる女性だった。でも彼にとってそれ