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ミラノ回想録

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毎朝ウィーンのパン屋さんで [ヴィーナー•キプフェル(ウィーン風クロワッサン)ひとつ下さい!]と言っていた学生の私が、ミラノというもう一つのヨーロッパの都会から仕事人生をスタート…
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#音楽家生活

ヴェネツィア~日常という幻想

2月末のヴェネツィアは、まだまだ春には遠い寒さだったが、アドリア海の上に島が見えてきた時 私は晴々とした気分だった。ずっと観たかったヴェネツィアという都市は、ミラノから電車でたったの数時間で訪れることができた。私がこの街を訪れたかった一番の理由は、ヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」で描かれた、死と美の壮絶な対比の中で、望むと望まざるに関わらず双方が引き立てあいながら共存している様に心を打たれたからだ。「死」があってこそ「美」が成立するという宿命は、人間から薔薇一本に至るま

煉瓦色のことば

私が音楽用語の次に覚えたイタリア語の単語は[鉛筆](la mattita)だった。なぜかと言えば, 私たちオーケストラプレイヤーが鉛筆なしにその日のリハーサルを終えることはまずないからである。 楽譜は初めは何も描かれてないまっさらな状態なのだが、演奏会までにほぼ書き込みでいっぱいになる。 それは主に指揮者が指示したテンポのことであったり、演奏の仕方についてであったり、何よりも弓の上げ下げ(ボウイングと呼ばれる)に関する書き込みである。このボウイングに関しては、リハーサルの間ひ

クリスティーナの昼食

年が明けて、私のスタンドパートナーはルーマニア人のクリスティーナになった。 クリスティーナはフレッシュなミルクのように色が白くて、天使のようにクルクルした明るい金髪は思わず手を伸ばして触ってみたくなるほどだ。      同じ金髪蒼目でもウテのように美しく妖艶ではないが,  彼女は明るくて親切で、皆に好かれた。しかも本当に賢かった。5か国語を自在に操り、様々なことに興味があるので何について話をしても彼女独自の興味深い答えが返ってくる。賢者のような彼女との会話はしばしば議論にまで

ボローニャでのクリスマス

イタリアでミレ二ウムに向けての興奮が静かに高まる中、クリスマスが訪れようとしていた。私が初めて日本に帰省しない年の暮れをどう過ごそうかと考えていたところ、カティアがナターレ(クリスマス)を一人で過ごすなんてあり得ない選択だと言ってボローニャの実家へ招待してくれた。私は嬉しさとは別に、ヨーロッパのクリスマスがどれほど家族にとって大切なイベントなのかを熟知していたし、それはあくまでも身内の集いだと思っていたのでひどく躊躇したのだったが、どうしてもとカティアが言うのでボローニャに行