サン・サーンス「白鳥」とバンドについての駄文

これでもオレは、3歳でカワイピアノ教室に入れられてから高3の受験期で辞めるまではあまり好きでもないピアノをずっと続けていた。さらにそのあとの大学で軽音楽部に入りキーボードをやったのと、社会人になってもなんだかんだその延長でバンドを続けているので、趣味として音楽に触れている時間を換算するとトータル30年くらいは経ってしまったわけだ。
それらを通して学んだことを自分のために、たまにざっくばらんに書き出しておこうと思う。

(音楽人生と言えるほどたいしたものかはわからないが)この長い音楽人生の中で、オレにも1つの学びがあった。

それは、

アンサンブルはスタートした瞬間にゴールしている

というものだ。

これはアンサンブルに限らずすべてにおいてだが、オレの価値観では物事ははじまった瞬間に80%決まっている。終わっているとも言える。
キックオフがいちばん重要で、ゴールと、それまでのストーリーができていないうちにキックオフしては絶対にいけない。それが許されるのはよっぽど卓越した一部の天才だけだ。オレやオレたちはスティーブジョブズでもカリフォルニアぐらしの起業家兼エンジニアでもないのだから、持ちうるすべてのリソースをキックオフに使うべきだ。

一部の芸術世界やトップオブトップのせめぎあいといったスーパーハイレベルな世界においては、結果が誰にも予測できない奇跡をひとつ、ふたつ、何回も起こさなくてはいけない戦いが存在する。
しかしながら、オレ達のようなごく一般的な生活圏内で生きているショボい人間が行う趣味、仕事、その他の文化的な試みにトライするかぎりにおいては、期待した結果にならない事柄はほとんどすべてにおいて見積もりが甘いことが原因と言っていい。

従って、 ”やってみなきゃわからない!” ということを言う凡人の言葉は信用できない。

オレがメーカーエンジニアとして働くなかでいくつも失敗したプロジェクトがあるが、ほとんどがスタート時点の問題だった(と少なくともオレは思っている)

出戻りが最も許されないウォーターフォール型のプロセスを辿った開発において、日系企業の連中の考え方は開始時点のリスク抽出とレビューに尽力したいと考慮しているから、
[GOしておいて後でがんばればよい] という よく言えば ダイナミックな感覚を持って開発を重ねてきた海外勢とそもそもの感覚が乖離しているのだ。

設計を進めるたびに問題が露になっていき計画が破綻するというケースはよくある。「スタートした時点で実は正直にできると思っていましたが、すすんでいくうちにやったことないこともあったし、よく考えたらウチらのスキルじゃ問題だらけでした、そしてできる人もいません、勉強してなんとか根性出すしかないですね!ワハハ!」 というような泥沼状態だ。

言わずもがな、これがキックオフ時にはなるべく現地に出向き、顔をあわせてパートナーの力量を測ることが重要だと言われるゆえんだ。
(※実際には、会社では事業計画の承認後、出張費用が計上され許可が下りた後にエンジニアレベルでのF2Fミーティングの機会が許されるので、顔をあわせて力量がわかってももう遅く、そうそう物事はうまくいかないという見方もあるが・・・・)

話がアンサンブルからだいぶ脱線してしまったが
要はチームに、メンバーに、おのおのの楽器に、何の役割を求めていて概ねどんなことがやりたいのか、人選はそれにマッチしているかをあらかじめ熟考すべきで、リーダー、バンマスは誘う前にこれらをはっきりさせておいたほうがいいですよ、という主張だ。考えや期待値の練度が高いか、低いかはあまり議題にしないが、まずはどのようなレベルであれ、ストーリーや、チームに何を求めているかを一度でも頭に描いたかどうかが重要なポイントだ。

オレが通っていたピアノ教室では、幼稚園・小学生まではいわゆるグループレッスン形式のようなスタイルをとっていた。
レッスン内容詳細については別の機会で書き留めておくとして、
5人程度のクラスを先生ひとりが見て、譜読みに必要な音楽記号などをおしえつつ普段はバイエルなどの練習用テキストをこなしていく、というわりときっちりした会社っぽいカリキュラムのレッスンで、
年1回か2回、グループの課題曲とはべつに、発表会で自分の弾きたい曲を練習して発表する、というものだった。

たしかオレが小学校1年か幼稚園年長さんのときだったと思うが、
今年の発表会は個人で弾きたい曲目を弾くのではなく、団体で課題曲をきめてアンサンブルをやってみましょう!という年があった。複数のクラスが合同練習のような形で何回か練習をして、15人くらいで演奏をしましょうというものだった。
曲目はサン・サーンスの 動物たちの謝肉祭から「白鳥」に決まっていた。
当時オレはなんでこんなつまらない曲を演奏しなきゃいけないんだ、同じ白鳥ならチャイコフスキーの有名な方をやらせてくれよ、などと不満に思った。
そのうえ、オレのパートはハープシコードで永遠にバッキングするだけのパートだった。下の動画だとハープシコドはアルペジオを弾いているが、児童用に間引き、アルペジオではなくコードを小説の頭でポーン、とバッキングするアレンジになっていた。
聴けばわかるが唯一の見せ場は最後の締め部分のポロンポロンという高いところから低いところへの階段のような部分だけで(ここだけはわりと簡略化されていなかったように記憶している)それまではひたすら我慢してバッキングに回らなければいけないパートだった。

主線に携わらずにアンサンブルを終えるなんてすごく悲しいし目立たないな、と思った記憶もある。

だが、今にして思えば、先生の采配は見事だった。
未熟な15人の児童の集中力でやるのに短くて難易度も最適な曲だし、レッスンとしてもオレの性格や、やったほうがいい要素をよく考慮してくれたなと思う。いくつかのパートを弾かされてハープシーコードになったので
当時は子供ながらに自分がへたくそだから主旋律を弾かせてもらえなかったのか、と落胆したものだが、そうではない。(いやそれもあるのだが・・・)
実際のところ先生がどこまで考えてくださっていたかはわからないが、(先生はプロなので当然だが)他の生徒の状況や個性を把握し、プロジェクトリーダーとしてきちんとアンサンブルをまとめた、いい演奏だったように思う。
軽音楽でバンドをやるようになったりした後、大学の部活以外にもバイト先やふるい友達の演奏を見にライブハウスなどによく足を運んだものだが、すばらしい演奏をできるチームは山ほどみたけど、きちんと緻密に計算・考慮されているな、と感じるチームは貴重だったように思える。

完全に蛇足だが、
もっともオレが理解できないパターンのやり方に、楽器のレベルだけが高い人間を募集して集めて、みんなで鍋とかを囲みながら個々の意見を尊重し曲や方針を話し合っていくというやり方がある。このやり方を否定するものではないが、☝のような持論を展開するオレに言わせればまったく無意味な行為だ。(また完全な偏見だが、こういうやり方をしているとアンサンブルの音は離散することが多い)
人選が終わったあとでいくら鍋とかタコ焼きパーティをしたって一向にアウトプットの音楽は変わらないんだから。やるなら人選をする前だろ。鍋を囲んでいろいろ話をきいた結果今回きみをクビにしたい、とかならわかる。

もしこれで成功したよ!という人がいるなら
それはあなたがオレと違って天才なのか、とてもラッキーなだけだと思う。または、うまい音が同時に鳴っているだけで、アンサンブルの定義がオレの考えるものとは違うか。

大学3年生を過ぎてからは、自分にいったい何を求められているのか理解できない、もしくは自分でなくても誰でもいいような バンドはあまり組まないようにしているつもりだ。

ちなみに、5歳くらいだからもう27年前くらいになるけど、白鳥のアンサンブルをやった瞬間の思い出は どんな服を着ていたかなのかも思い出せるほどよく覚えている。赤いコーディロイ地のシャツに、白いサスペンダーを合わせていた ザ・子供という恰好だった。

つまり、気持ちも、技量も、考え方や、ファッションセンスも、5歳児のときから あまり成長していない、というわけだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?