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病院が好き〜各科別の楽しみ①〜脳神経外科

幼少期より、何かと病院にはお世話になってきた。
ひ弱である。
ひ弱な割に無茶と無理をする。やるべき事が終わった途端寝込む、その繰り返しだ。

数えきれないほど受診してはいるが、大病や大怪我はしていない。
殆どの人生を健康に過ごして、病院とはほぼ縁のない人もいる。
どちらが良いかと言えば、何事もない方が良いのだろうけれど、ひ弱というのも結構役に立つ事もある。

▪️偏頭痛の始まり
偏頭痛持ちである。小学校5年からなので、長い受診歴がある。
初めて症状が出てから、家族にも周囲にも同じ症状を経験した人がいなかった上、おまけに保健の先生すら知らなかったそうだ。
親も保健の先生も、最初仮病だと思ったそうだ。
酷い(T ^ T)

仮病と思われるのにはやむを得ない部分がある。
体調が良く、寧ろリラックスしている時にいきなり起こるのだ。
先程まで何事もなく授業を受けていた児童が、いきなり頭痛を訴え、吐き、痛みでのたうち回る、随分親も保健の先生も驚いたことと思う。
現在、偏頭痛は様々な症状や、発生のメカニズムが健康番組などでも紹介され、スマホを検索すればいくらでも症例も調べられ、対処法も得られる。

私がラッキーであったのは、親が知人から脳神経外科に行った方が良いとアドバイスされたことだ。
受診すると、あっさり医師は、

「偏頭痛ですね。お子さんは、その中でも重い症状が出るようです。頭痛の中でも最高レベルです。
でも後遺症が残るわけでもなく、心配ないです。
症状が出たら、静かに休ませてください。」

短期間で謎の病気は解明された。

謎は解けて、仮病の疑いは晴れ、親から謝られた 笑
しかしその後も苦労することになるのは、症状を抑える薬が存在しなかった事だ。
痛くなったら頭痛薬を飲む。以上。

しかし私自身は気づいていた。普通の頭痛薬は効かない。
それに、いつなるかわからないので、当然空腹時に頭痛が起こることもあり、寧ろ飲んでしまうと嘔吐を促進させてしまう。
医師に話したものの、
「うーん、でもそれしか仕方ないんだよね。」
終了。
それから30年後、画期的な薬が開発されることを、せめてあの頃の私に教えてあげたい。

▪️頭痛のメカニズム
頭痛の始まりは閃輝暗点だ。
大抵、授業中であれば、黒板の前にいる担任の左肩あたりが光り始める。キラキラが見える、と思うと、その部分が見えていないことがわかる。

キラキラはそのうちに拡大して、視野の殆どを占めるギザギザした歯車のようになり、手前から奥へ、二重、三重に重なる。
視野の8割くらいが動き続けるキラキラギザギザで見えなくなる。大変不快な症状である。恐怖さえ覚える。
残り2割の見える部分を頼りに、そうっと歩いて保健室に向かう。

この閃輝暗点は20分ほどで消え去るが、その後激しい頭痛と嘔吐が始まる。
このタイプの偏頭痛の痛みの激しさは、脳梗塞と同じレベルだと言われている。後遺症はない、という安心感はあれど、とにかくひたすら激しい痛みに耐える。

もうキラキラが見えた時点で、その後の予定は全て無となる。酷い時は二日くらい寝込んでいた。
暗くした静かな部屋で、頭を抱えて耐える。それしかなかった。

その後知ることになるが、閃輝暗点は目の異常ではない。
脳の視覚野の血管が収縮し、一時的に血量が減り、機能障害が起こる為にギラギラした光が現れ、その後今度は血管が異常に拡張して血管に炎症が起こることで頭痛が起こるのだそうだ。

ストレスを最大に抱えた時や疲労が激しい時には起こらない。それらが解消して、リラックスした、寧ろ快調な体調の時に起こる。厄介だ。
それでも、私なりに解釈すると、ストレスが溜まり過ぎた後、ホッとすると起こるということは、そもそものストレスが溜まる状況を避けるしかないのではないか、と。
本を読み過ぎたり、考え過ぎたりするのも良くない気がした。

恐らくだが、その年から担任となった教師と、相性が悪かったことが原因だと思っている。

明らかに担任は、運動好きで派手でわかりやすい行動をする女子がお気に入りだった。
私は本好きで、やや大人びていて、担任の嘘などよく見抜いた。口には出さないが、『愚かな人だ』と思っていた。
勉強も先へ先へと予習してしまう子だった。運動クラブには属さず、図書館で本ばかり読んでいた。

個人懇談で、母は担任から、
「教科書を随分先まで読んでいるようだ。自分だけ先に進んでいることで、その時々の授業でつまらなそうな顔をしている。運動クラブにも入っていない。」
と言われたそうだ。

母は、「それの何がいけませんか?」
と答えたそうで、母は速攻で気に入らない保護者の仲間入りを果たしたσ^_^;

小学校の担任とは関わる時間が長すぎる。その苦痛が、偏頭痛として表れたと思っている。


▪️特効薬出現
受験の時も、学生時代も、仕事をするようになっても、どんな時もいつも偏頭痛になったらどうしよう、と心配していた。効かないまでも、お守り代わりに頭痛薬をいつもどこへでも持参する日々。
しかし、小学校の時に既に気づいたように、ストレスの真っ最中や、緊張感いっぱいの時に、症状が出ることはない。
よって、テストや行事は休んだことがない。

時は流れて、最初の偏頭痛から30年後、10代の頃よりは頻度は減ったものの、相変わらず偏頭痛には悩まされていた。

ある日新聞の生活欄を読んでいて、目が止まった。
【偏頭痛の初期症状で服薬することにより、頭痛を防げる薬が実用化された】
えーっっっ✨✨✨とうとうこの日が。
もしその日新聞記事を読んでいなければ、その後も症状に苦しんでいたことだろう。

翌日、早速、脳神経外科に行く。
初めて会う女医さんは、神経質そうな先生だった。

過去からの症状を説明し、
「新聞記事で読みまして。お薬いただけますか?」
「ああ、最近使えるようになった薬ね。
ただ合う人と合わない人がいるようですけどね。
あなたの症状は典型的な偏頭痛だから、処方してみますね。」

近くの薬局で薬を受け取る。当時、健康保険を使っていても一回分、一錠1100円であった。

(なお、現在は一錠400円くらいと安価になっている。ありがたい。
また、それからかなりの年月が経っているが、私の使用している薬を超えた効き目のものは出ていないそうだ。)


一錠その価格であっても、あの痛みに効くなら安いもの。感動だった。
この日から私の人生は変わったのだ。

その後いつ偏頭痛になるかわからないので、効くか効かないか試す為に、頭痛は嫌だが、試せるその日を待ち侘びた。

とうとうその日はやってきた。
薬は、目に違和感が出てすぐ、キラキラが見えた瞬間に飲まないと効かない。
これには注意が必要で、時間が立つと血管の収縮を止められないのだ。

1100円の薬を飲み込む。何分かキラキラは続いたが、いつものように拡大はしない。気づくと消滅したのだ!
視野の全てが普通に見える。
その後は、少しだけ頭が重い感じはあったが、その程度で済んだ。
私に合う薬だったのだ。
以来、あの痛みを味わうことはなくなった。
人生は変わった。

その後、薬がなくなる前に病院に行っていたが、いつなるかわからないし、間隔が長くもなっていたので、受診は不定期であった。

2年ほど経っていただろうか、久々にお目にかかる女医さんは髪型が変わり、明るい印象で、何だか少しヘラヘラして見えるというか、くだけた印象に変わっていた。

「先生、何か雰囲気が変わられた感じがします」
「そう?  あ、私はあなたの使う薬とは別の薬が、頭痛に効いたんですよ。
それから、最近、頻度がすごく減って、ほぼ偏頭痛なくなったみたい〜(^○^)」

先生も偏頭痛もちであった。それを抱えながら、患者を診察することは辛かったと思う。
先生の人生も変わったのだ✨✨

▪️芥川龍之介も苦しんだ
芥川龍之介の『歯車』を読んだ方はお気づきだろうか?
彼がこの小説の中で、偏頭痛の症状を書いている。
いきなり半透明の歯車が見え始め、その後激しい頭痛が起こる、自らの身体に起こる症状を書いている。

私は『歯車』を症状が始まった時代に読んでおり、親に、
「この人も私と同じみたい」と言ってみたが、
「お父さんの本読んでる? 違うの読んだら?」
と内容に関してはスルーだった。怒られると嫌なので、それ以上は話さなかった。

芥川龍之介の写真を見ると、ああ神経質そうだ。明らかに頭痛持ちの顔をしている、気の毒に、と小さいながらに感じたものだ。

その時代にも彼は既に偏頭痛と診断されていた、と後に読んだことがある。
診断されようが、どうだろうが、その時代には特効薬はなかった。
長年いつ襲ってくるかわからない頭痛に怯え、激しすぎる頭痛の為に、自分は狂ってしまうのではないかと不安を感じていたそうだ。

私自身、効く薬がなかった10代の頃の痛みは、
『もう耐えられない』と泣き喚くほど酷かった。

『歯車』には、共感と一言では言えないほどの感情が湧いたのだった。

▪️その後〜相変わらず病院が好き〜
引っ越す度、脳神経外科も変わっていった。
家からほど近い場所に新しくできた脳神経外科は、お年寄りと頭痛持ちでいつも混雑している。

ここの患者たちは、老若男女、共通する特徴がある。
身なりがきちんとしている。病院であっても、身なりを整えて行く患者ばかりである。
受付での態度が明らかにきちんとしていて(その近所にある総合病院の患者と大きく違う)、神経質そうな表情の人が多い。
頭痛と付き合いながら生きることは、慎重にならざるを得ないからだ、と思う。


初診の時、挨拶をしてすぐにこの病院の医師に聞いてみた。診察室に入ってすぐわかったからだ。

「先生は偏頭痛のご経験ないですよね?」
「はい。僕、普通の頭痛も殆ど経験ないですね。
あれ? どうしてわかったの?」
「…はい。何となく。」

私は医師と話すのが昔からとても好きだ。
痛むところを直してくれるありがたい人であり、知性ある人格者も多く、また突っ込みどころ満載の変な人もいる。

医師は、いつも辛い病気や怪我の話ばかり聞いて対応し続けているせいか、少し医学とは違う方面の話や、こちらの受け止め方が意外だと感じると、妙に面白そうな顔をして乗ってくる人が多い。

診察時間が長くなると次の人に迷惑がかかるので、余計な話を振るのはせいぜい一言くらいにしているが、2回目に行くと、
『お、この前の患者だ。今日は何を言うのかな?』という顔をされる。
2回会えば医師の傾向がわかるので、3回目はウケるネタを仕込んで行く。
結構ウケて、看護婦さんを巻き込んで笑われた。

長い診察時間の中の一服の清涼剤、癒しにしてもらえていたかは知らないが。
大抵3回行けば治るので、そこで終了。


近所の脳神経外科の医師は、彼の患者(我々頭痛持ち)とはまるで違う、大きな声で話す明るい人であった。

「何? ドイツに行く?  
お薬どのくらい必要がわからないね?
じゃあ、一回に20粒しか出せないから、毎月通ってもらって、お薬溜めよう!
僕ねぇ、学生時代、ドイツ語苦手で、読めないからカタカナふってたなぁ。難しいよね。もう勉強した? 
ドイツは医学が発展した国だから安心だね!
帰ってきたら、また話きかせてくださ〜い♪

共感はしてくれなくても、こういう頭痛を知らずに育ってきた明るさもアリだな、と思ったのだった。


▪️余談
これだけ偏頭痛についての話題がしばしば取り上げられるようになっても、知らない人が多いのに驚く。
全く症状がない人は別にいい。知らなくても。
しかし家族や周囲の人に、その症状が表れることもあるだろう。
だから知っていてほしい、と願う。

私が驚くのは、明らかにその人自身に偏頭痛の症状があるというのに、google先生にも頼ることがなく、脳神経外科を訪れることもなく、内科や眼科を受診する人がまだ多い、ということだ。

私は内科や眼科にもよく行っていたので、患者が待合室で聞き取りをする看護婦さんに向かい、その症状を語っているのを何度か耳にした。

大抵親が心配して、
母親「この子、目が見えなくなって、頭も痛くなるって言うんです。そんなことあります? 変ですよね?」
娘「本当だよ。目が変な感じになって、見えない部分が拡がるんだってば!」

新聞とかテレビであれだけ取り上げられるようになっても、まだ実態はこんなだ。
看護婦さんがいなくなるのを待って、思わず親子に近づいて話す。

「それは偏頭痛です。私も同じ症状を起こします。
でももし目の異常があるといけないから、今日はここで診てもらって、今度は脳神経外科にかかり直してください。
今は特効薬があるから安心ですよ。」

日本人は知らない人から話しかけられると身構える。
お母さんはそうだった。
でも娘さんは、
「本当ですか?」と小さい声で聞いてきた。
「本当。大丈夫。私も小学5年からずっとだから」

誰にもわかってもらえなくて不安だったと思う。
お節介だと思いつつ、そんな機会があればこれからも伝えていこうと思っている。


さて、日本の病院はありがたい。医師は痛みに共感してくれないとしても、ちゃんと適切な薬を選んでくれる。

「ドイツの病院は、ハーブ由来の薬ばっかり出すんですよ!治らないんです!」
といつか帰国したら、報告に行かねば。
この話はまた次の機会に。









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