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プラハで想う〜フランツ・カフカ『城』


「しばらくプラハでエッセイでも書きながら暮らします。」
これは私の退職時の挨拶。勿論本気だった。

20年以上働き、そろそろやってみたい事を実現する事にしようと思ったのだった。
健康なうちでないとできない夢。


旧市庁舎仕掛け時計


「何故プラハ?」
とよく訊かれたものだ。
世界遺産である旧市街が美しいとか、音楽に溢れた街であるとか、好きな理由は様々であるが、その中でも一番大きな理由は、

「カフカの『城』を読んで惹かれたから。」


この答えは、質問をした人の殆どを煙に巻いたようで、大体、
「…ああ、そう」とか、
「…へぇ」くらいの言葉しか返ってこない。

ただ一人、読書好きの知り合いが、
「あ〜わかる、それ。」と理解してくれたのだった。

おそらくnoteの読書好きの方々なら、共感していただけるのではないだろうか。

測量士Kが、仕事の依頼を受けて、『城』の所領の村にやってくる。
酒場で若い男から、伯爵の許可がなければ宿に泊まることもできないと言われる。
中央官房に照会して、やっと彼が仕事を任されたことが明らかだと判明しても、周囲は不可解な態度を取り続け、話は進まない。

Kが城に向かって、村の本道を歩き続けても道は長く、また城山には通じていない。
『城』に近づこうとしても、道はわざとのように曲がってしまう。遠ざかるわけではないがそれ以上近づきもしない。
どうしても『城』には辿り着けない。
雪は小さな家々の窓まで達し、凍てつく寒さの中、あっという間に日が落ちる。
城の役人や従僕に連絡を取ろうにも、たらい回しを繰り返される。全く要領を得ないまま、酷い目にあい続けるが、それでも彼は立ち去らない。

Kは城にも辿り着けないし、よそものである彼は村人にもなれない。

『城』は彼から遠ざかる。

不条理の物語だ。そしてこの物語は未完に終わっている。
宿屋のおかみが、Kに叫んだ言葉で物語は突然終わる。

結局、Kはどうやっても城には辿り着けないのだと、読み終わった後、徒労感と虚無感を感じつつも、これがカフカという人の人生そのものなのかと思ったのだった。

読んだのは17歳の頃だった。


20年後、初めてプラハを訪れたのは冬だった。
吹き荒ぶ雪混じりの風の中、カレル橋からプラハ城を眺める。
日が落ちる頃、耳がちぎれそうな寒さとなり、慌てて橋の袂の店で帽子を買う。

寂寞たる灰色の空、凍てつく大地、カフカを思い出す。


フランツ・カフカはユダヤ人として生まれたが、正統ユダヤ教徒には属さず、またキリスト教にも属さない。
チェコに住みながらドイツ語を話す家庭に育ち、ドイツ語を話すがドイツ人でもオーストリア人でもない。

また、専制的な父が支配する家庭との戦いを、『父への手紙』の中で、
『ぼくは、ぼくの家庭の中で、他人よりもなおいっそう他人のように暮らしている』と書いている。
どの時代も家族との確執は重くのしかかる。


どこにも完全に所属しない存在、家庭の中であっても。そんな自分を書き続けた人であるという。


カフカは“生まれながらの異邦人”と称されるが、測量士Kの姿は、カフカの生き方と重なるものが大きい。


プラハ城  聖ヴィード大聖堂

【妄想】
もし『城』が完成していたら、とよく考える。
おそらくKは、どうやっても城に辿り着けないままだった気がする。

しかし私は妄想する。
カフカが執筆中、何か人生観が変わるような出来事に触れ、いきなり平和と安定の心理状態になり、南イタリアあたりに移住し、温かい気候の中、別の生き方をする。

[話の続きは」
その後、Kは長逗留の末に役人たちと懇意になり、城で依頼の仕事をやり遂げることとなった。
測量士としても認められ、村に居着いて、村娘と世帯を持つ。
ウェストウェスト伯爵は代替わりをし、やがて城は開かれた存在となる。

散々、城に近づかないと迷宮に入り込んで引っ張り続けた物語が、ラストは春の訪れ。

私の妄想は陳腐だ。ああ、おこがましい🙇‍♀️
カフカ様に失礼な。

でももし、そんな凡庸で平和な発想ができる世界に所属できていれば、カフカは安寧な人生を生きられただろうか。

14世紀に栄華を極めたプラハ、その後も周辺国の侵攻を受けつつ、大戦を経ても、奇跡的に街は破壊されず、
ロマネスク、ゴシック、バロック、アールヌーボー、様々な建築様式がその姿を残す。
美しさに溜め息が出る。


カレル橋 フランシスコ・ザビエル像
ドナウ川の流れ


プラハ城のある高台から望む、赤煉瓦屋根の建物やモルダウ川の流れ、私の暮らしたかった街の姿を胸に刻む。

あの時、私の退職日に偶然長女がプロポーズされ、その後まもなく、次女も結婚が決まった。
親の務めを果たすために、プラハ行きはお預けとなった。

無事二人の娘たちの結婚式は挙行され、またコロナ禍を経て、夫のドイツ行きが決まり、チェコのお隣の国で今こうして暮らしている。

[エッセイを書きながらプラハで暮らす夢]は潰えたものの、近い国なので気楽に来ることができる。

スメタナホール横のカフェで、街を眺めながらnoteの記事の下書きをする。
行き交う様々な国の人から話しかけられて、書く手を止める。
覚えている限りの言語を駆使して、お喋りをする。

ふと思う。
これはこれで幸せだ。






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