マルチリンガル 雅子様🌹多言語と国際儀礼と優しさと
“なぜ急に雅子さま?”と、目にされた方はお思いになられたことだろう。
私には雅子さま絡みのエピソードが二つある。たまたまYouTubeを目にして、それを昨日思い出したのだった。
武智倫太郎氏が【小説をプロジェクト化する☆多国籍企業経営者の挑戦】と題して、本気で小説をプロジェクトとして構築するとどんな小説が生まれるかの試みを表明された。
情報工学者、情報学者である氏がシステム開発手法を自らの作品に取り入れ、それをnoteの書き手の為に惜しみなく提供されている。
さて、その中で、私の多言語にまつわる記事を取り上げてくださった。大変ありがたいことと思いつつ、
『はて? 何故私のゆるい多言語ネタを?』と猜疑心を募らせた。
武智氏が私の記事を選択されたことにより、これは氏による壮大なスケールの物語に多層的な設定がなされ、氏の膨大な知識や手法により、無駄を抑え効率的に成果を出す執筆の為に、大真面目な試みを行うという“お戯れ”であるに違いない、との疑念を私の中に生みだすこととなったのであった。
武智氏はコメント欄にて、映画やドラマの中で、ドイツ語の難しさを示す場面の紹介をしてくださった。
[武智氏コメント欄より]
スティーブ・マックイーン主演の映画『大脱走』(The Great Escape)には、ドイツ語で月を『Her』と誤って言い、正体が露見する有名なシーンがあります。これは、コリン・ブライス(Colin Blythe)役のドナルド・プレザンス(Donald Pleasence)が、ドイツ語で『月』を意味する『der Mond』を『die Mond』と誤り、女性名詞として使ってしまったことが原因で、ドイツ兵に疑われ、身元がバレてしまうのです。
他にも、『24』のジャック・バウアーが、あまりにもドイツ語の発音が悪すぎて身元がバレてしまうシーンがあります。
Jack Bauer tries to speak German
https://www.youtube.com/watch?v=6R7n8HDkV0Y&t=20s
この場面は大変面白く、私自身もドイツ語を学んだ最初の段階で苦労させられたことを思い出し、共感し、シリアスな場面であるにも関わらず、大笑いしたのだった。
ドイツ語を学ぶ人は、恐らく誰もが苦労する男性名詞と女性名詞、中性名詞、それに伴う動詞の変化‥‥
何これ? 何故こうなるの?と思ったあの頃。
[何故そうなるの?と思ってはいけません。そのまま覚えましょう]
と著者から牽制されているあのテキスト‥‥
スパイは優れた多言語使用者でなければならぬ、と納得する。
ドイツ語に興味のある方はご覧いただきたい。
さて、見終わってドイツ語の難しさを改めて感じていたところ、その下に挙げられていたタイトルが目に飛び込んできた。
『ドイツ語も話せるの? 英語が苦手なメラニア夫人と話す雅子様』
https://search.app/gXhf4BwFKspMoufD8
雅子様が語学がご堪能であられる事は、ご婚約の発表以来皆が知ることとなった。知性と気品と優れた語学力、これほど皇太子妃としてふさわしい方が存在したのか、と誰もが思ったものだった。
英語は勿論完璧。また、お小さい頃にソビエトにいらしたことから、ロシア語もお使いになられる、と情報番組などで知った。トリリンガル、或いはマルチリンガルでいらっしゃるのだろうと。
『そして更にドイツ語も? 』と思い、ジャック・バウアーに引き続き、視聴したのであった。
トランプ大統領の来日の折の話題だ。
天皇皇后両陛下との会見の席に通訳が同席しなかったことや、両陛下の英語力の高さは、トランプ大統領にとって大きな驚きであったという。トランプ大統領は通訳なしのコミニュケーションを重視するそうで、会見は大変和やかなものになったとのことだ。
また、メラニア夫人と雅子様の会話。
メラニア夫人がスロベニア出身である為、公式の場での英語の会話に緊張していることを瞬時に察知された雅子様は、話しやすい言語を質問された上で、すぐさま会話をドイツ語に変えられた。
メラニア夫人は、この言語の転換に、驚きと感激の表情を見せたという。
私は「それは感激するでしょ!」と思わず声に出してしまった。市井の民が外で立ち話する程度であっても、わからなくなった時に、話しやすい言語に変えてくれる相手は神のように見えるのであるから。
また、別れ際には。メラニア夫人の文化的背景を理解された上で、アメリカでは行われないチークキスで親愛の情を示されたというのだ。
外交官としての経験から、様々な文化や習慣に慣れ、国際儀礼に精通されているからこそ、相手に合わせて優しく配慮をなさる雅子様。本当に素晴らしい✨✨
日本語以外の言語を巧みに話せる人は相当数いるであろうけれども、話せればいいというものではない。相手への配慮や習慣の違いを理解した上で、人としてどう関わるか、それこそが学ぶべきものだと、改めて雅子様から学ばせていただいたのだった。
感激して、うっかりそのままドイツ語の勉強を始めてしまった。
その為、『大脱走』と『24』を題材に、英語圏の人がドイツ語を話す場合の問題や、その他にも様々なご教示をいただいた武智氏に、まだお礼と意見のコメントを返信していなかった。
誠に申し訳ございません🙇♀️
この記事を書き終わったところで、気合を入れてコメントさせていただこうと思う。
▪️エピソード1
雅子様は、大学時代まではお顔がふっくらされていたが、外交官になられてからはシャープな雰囲気になられた。
更に皇太子妃候補と騒がれだしてからは、マスコミに囲まれる日々となり、戸惑いと苛立ちを含んだ表情をされるようになり、お顔はかなり痩せられた。執拗に付きまとわれればそうならざるを得ないだろうし、ご自分の将来に関して、大変大きな選択を迫られていた時期であったと思う。
そのオックスフォード留学時代、また外交官として気品あるクールな表情を見せる雅子様がとても好きだった。最高に優秀な働く女性。憧れであった。
ご婚約後、情報番組は雅子様一色となった。その中で、発表前の時期のものらしい(髪型から推定)、お友達のお子さんと一緒の写真があった。そのうちの一枚では、ややうつむいて、寛いでいらっしゃるものの、笑ってはいらっしゃらなかったので、よりお顔立ちがはっきりとしていた。一番痩せられていた時期だったようにお見受けした。
皇太子妃になられるということに熟慮を重ねていらした時期か、既に決定されていた為、緊張が続く日々の合間の写真であったのでは、と思う。
さて、ご皇太子妃確定のニュースが流れ、皇居に向かわれる雅子様の最初のお出ましの日はオフホワイトのコート、翌日以降は赤やベージュや紺のコートであったと記憶する。
発表からの日程経った頃、私は娘を連れて近くのデパートに出かけ、1階の奥のストッキング売り場に行こうとしていた。店内は混み合っていた。
その時異変が起きた。
買い物客がザワザワし始め、通路の真ん中が空いた。
モーゼの海割りのごとく。
何が起きたかわからないままま、
『あ、通りやすくなった♪』と娘の手を引いて進み、ストッキング売り場に着いたが、まだ周囲はざわついているような気がした。
すると売り場の年配の店員さんが話しかけてきた。
「びっくりしましたよ〜! 『雅子様だ!』ってみんなまだ話してますよ!」
「はぁ?」
「お忍びでいらしてるって」
「あの、子ども連れてるんですけど、私。それに似てないですよ 笑」
「お友達のお子さんと一緒の雅子様の写真、テレビで見ませんでした? 笑っていない雅子様。そっくりですよ。
赤いコートだし、髪型も」
店員さんが話されたのは、あのお友達のお子さんと一緒の雅子様の写真のことだ。そしてあの皇居にお出かけの際の赤いコートのことだ。
店員さんはかなり興奮気味だった。しかし、私の赤いコートは前から着ているものだし、髪型も2、3年前から同じで、雅子様の真似をしたのではありません、と笑いながら説明した。当時の流行りだったのだ。
「通路がいきなりあいたからびっくりしましたよ」
と話し、まだ買い物客にチラ見されながら、売り場を後にしたのだった。
田舎町のデパートでの出来事であった。
▪️エピソード2
ご結婚後、数年が経っていた。まだ愛子様はお生まれになっていない時期のこと。
ある日、仕事で外出中のことだった。用事を済ませて駐車場に戻ろうとしていたところ、駐車場のビルのすぐ横、道の先に人が集まっている。
何だろう?と思ったら、係員らしき人がやってきた。
「人が集まっていますけど、何かあるんですか」と聞くと、
「もうすぐ皇太子ご夫妻がお通りになられます。よかったら手を振ってお出迎えしてくださいね。」
そういえばその場所はご宿泊先のホテルの近くだった。その街にいらっしゃる時は、そのホテルをお使いになると聞いたことがあった。
どうしようかな、と思ったが、なかなかない機会だと思い、その場で待つことにした。
大通りの方に人は集まっていて、ホテルの方に曲がって来る狭い通りの、その地点にいたのは私だけ。
すぐに歓声が聞こえた。そして車はゆっくり左折して細い道に入ってきた。
車が近づく。視力2.0だった私は、まだ少し先の車の中がよく見えた。
観衆がいなくなったこともあり、ホテル近くの静かな通りに入り、人がいなかったことで一段落されたことと思う。
左側に座られた雅子さまは、もう笑顔は浮かべてはいらっしゃらず、リラックスされた表情とお見受けした。
そして車は私のいる位置に近づき、雅子様は一人で立っている私にお気づきになられた。
私は、初めての経験で緊張していたのかもしれないし、その周辺にいたのは私一人であったせいもある。
手を振ってお迎えを、と言われていたが、そんな雰囲気ではない気がしていたし、元々はしゃぐタイプでない私は、ただその場にいたのだった。
車が近づいた。
雅子様は私に向かって、『え?』という表情を浮かべられた。目が合った時、少し目を見開かれたのがわかった。
私はといえば、大勢の人々がお出迎えの時にするようにお名前をお呼びしたり、手を振ることもせず、ただ雅子様を見つめ、ゆっくり会釈した。
たった一人のその場では、そうするのが相応しいと感じたのだった。
雅子様も、そのままの表情で軽く頭を下げてくださり、車は通り過ぎて行った。
その先に見えるホテルに車が到着するまで、お見送りをしたのだった。
その日の私は、何年も前から変わらない、デパートで間違えられた頃のままの髪型で、スタンドカラーのベージュのコートを着て、襟元にはエルメスのブルーと水色のスカーフをしていた。
顔も一番痩せていた頃だ。
私が着ていたカシミアのベージュのコートは、雅子様のご婚約当時着ていらしたコートによく似ていた。
あの当時はエルメスのスカーフを蛇腹に折って襟元に結ぶスタイルが流行していた。
書類を入れる大ぶりのバックを持った私は、数年前の雅子様の雰囲気に似ていたのかもしれない。
もしかしたら、雅子様もそうお思いになられたのかもしれない。
皆にお手振りをなさる際の微笑みを浮かべられていない、フラットなお顔の雅子様を久しぶりに拝見したのだった。
日本の皇室に入ればあまり強い色は身につけられないし、オーダーメイドの服を皆様お召しになる。
オーダーメイドの柔らかい色の上質な服は、確かに美しい。けれども雅子さまは、はっきりした色のデザイナーズブランドのスーツの方が、ずっとお似合いになるタイプの方だ。服は身体に合わせれば良いというものではない。
人は似合う色の、美しいラインのデザインの服を選び、そこに身体を合わせる方が遥かに綺麗に着こなせる。
恐れ多い話だけれども、私はよくそう考えたのだった。
雅子様がお持ちにならず、私にはあるもの、好きな服を着る自由である。
雅子様、勿論お忘れでしょうけれども、私、あの時よりぽっちゃりしました🐷
雅子様、どうか、これからもお健やかに、益々のご活躍をお祈り申し上げます🌹
多言語を学ぶ全ての人々の憧れです。
あのYouTubeは素晴らしい情報でした。発信者の方に感謝です。
雅子様にも是非ご覧になっていただきたいと願います。