無気力の救世主(私にとっての「書くこと②」)
恐ろしいほどの無気力に襲われるときがある。人生で「努力したのに報われなかったこと」が脳内を走馬灯のように駆け巡り、自らをゴミ以外の何者でもないと思えるとき。大学に入学してからずっと、その状態が続いている。(この『努力が報われない経験から、努力することからも逃げる』状態を『学習性無力感』と呼ぶと知った。いつかこの話もしたい。)
高校時代までの私は、色んな人から「努力家」「ガリベン」と言われてきた。休み時間は勉強するか黒板を消すか教室の窓を開けていた。放課後や休日は陸上競技や駅伝のことばかり考えていた。それでも、部活面でも勉強面でも報われなかった。心ない友人には「お前は勉強の才能がない」「勉強してる割には成績悪いよね」と笑われた。
そんなこんなで入学した大学。努力が報われた経験がない私は、勉強ができなくなった。机に向かっても、以前のように集中できないのだ。真面目だが定期考査の勉強ができない私は、授業の出席点で何とか単位を取得できていた。
そんな私だったが、好成績を取得できる科目もあった。レポートが課される場合だ。レポートの場合でも私はやる気が出なかった。締切前に一日中パソコンと向き合い、ひたすらキーボードを叩いて提出していた。2000字程度なら1~2時間、4000字だと5~6時間で書き終えるほどだった。レポートのみの授業で、妙な成績は取得しなかった。
私は「生まれ持ったギフト」がない人間だと思っていた。だが、文章を書くことだけは、ギフトと表してもいいのではないか。無気力の最中紡いだレポートやインターンで書いた文章(※1)が教えてくれた。小学生の頃親に怒鳴られながら解いた算数、周囲に笑われた図画工作や運動や勉強。全てに於いて才能はない。初め「器用」なだけいいじゃないかと器用貧乏さえも羨んだ。書くことは私のギフトであり、私の救世主だ。これからもたくさん、言葉を紡いでいけたらと思う。
今回の写真は引っ越し前の我が家。かぶりついて勉強していた学習机が置かれていた場所。
※1:この投稿を参照ください。
私にとっての「書くこと」①(note初投稿記念)|古元素 @vintagelementl #note https://note.com/vintagelementl/n/nb848465757f7
私の文章を好きになって、お金まで払ってくださる人がいましたら幸福です。