食にまつわる人と人とのショートショート 最終話

数年後、僕はとあるレストランでホールスタッフの仕事をしていた。ワインはイタリアワインぐらいならそれなりに覚え、ソムリエの資格も取った。

内装は白と水色を基調に彩られ、壁の半分がガラス張りで開放感のある店だった。ランチタイムは常に満席で、若いカップルのデートや近所のマダムの集まりに使われた。

オーナーはカジュアルダイニングあがりで全くレストランサービスはできなかったが、よく口は出した。何かあるとすごく不機嫌な顔をしてスタッフを威嚇した。それに嫌気がさして僕と店長以外のスタッフが辞めていくと自分自身も現場に駆り出されることになり、仕事のできなさを露呈した。

朝10時には店には来て帰るのは遅いと25時に近くなることもあったが、仕事は楽しかった。

正直に言うと、2回ほど重労働に心が折れて店に行けなくなったことがあったが店長だけは僕が戻ると2回とも無言で迎えてくれた。とがめる言葉も優しい言葉もなかった。他のスタッフは思い思いのことを僕に投げかけた。

僕が逃げ出して2回目に戻ってきた日の営業が終わって、店長は僕に「一緒に帰ろう」と言った。「お前が逃げたのは、お前だけが悪いわけじゃない」と言った。「今夜から毎日、俺が1本お前に発泡酒をおごってやる」店長はそう言うとコンビニに寄ってプライベートブランドのロング缶を2本買ってきた。

その日から毎晩、僕は店長と一緒に帰った。店長は発泡酒を必ずごちそうしてくれた。ときにそこに追加のチューハイやビールが加わることもあったが、最初の一缶はいつも買ってくれた。

帰りながら僕らは仕事のことを話した。

それは仕事のできないオーナーに対しての愚痴になることもあったし、僕のサービスについて褒める内容のときもあった。僕が「あのときはどうしてそうしたんですか」と店長に質問することもあった。

僕はその話の中で接客に何が大切かを教わった。ディスカッションに近い形で僕と店長は話していたので、教えてもらったというのは正確な表現ではないかもしれないけれど、接客技術のつたなかった僕にとっては教えてもらっているようなものだった。

ある日、僕が予約者の名前を店長に告げた。その予約者は一名での予約だった。予約時間は20時過ぎだった。

18時に始まったディナータイムはその予約時間に近づくころには落ち着いていた。多くのお客様はコーヒーや食後酒を楽しんでいた。

店長が僕に言った。

「お前、今日もうあがっていいよ」

「いや、予約のお客様は僕目当てですから僕やりますよ」と言った。

「いいから、お前もう今日はあがれ」店長はそう言って続けた。
「食事してけ」

「え?」と僕は驚いて言った。

「一緒に食事していけばいい。ただしまだ予約もあるし他のお客様の目もあるから、席は末席な」

「いいんですか?」

「いいから早くあがれ。来ちゃうぞ」

僕は担当テーブルの引き継ぎを急いで終え、「末席」を二人用のセッティングに直した。ナイフとフォークを並べ、グラスとパン皿を所定の位置に置いた。

今日は何のワインがどの状態かは全部頭に入っていた。いや、でもいいや、それは店のスタッフに委ねよう。今からは食事を楽しむ側だ。

そのうちに彼女がきた。ドアを開けたのを見てすぐに近づき、こんばんはと声をかけたら僕はそのまま席までエスコートした。二人分のセッティングを見た彼女は驚く前に、僕を見透かしたような笑顔で言った。

「あなたならこのくらいのことになってると思ってたわ。ふふふ」

結局また僕らは自分の意思とは関係なく、店で待ち合わせることになったのだ。

(終)


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