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自由は不自由があるから自由だし、自由について回るものもある。

雲がただよっていたり、鳥が空を飛んでいるのを見ると「自由」でいいよなぁって思うことがあります。

ホントは自分だってどこにでも歩いていける丈夫な足があるし、その気になれば時間だって作れるはずなのにね。

どんなことでも、どんな人でも「ないものをねだる」ってことはあるんじゃないかなぁ。

たぶんそれが人間っていうものじゃないのかなって思ってるんだけどね。

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「自由」って、いつでも、どこでも、だれにも縛られることがないってことのように思う。

でもそれは”完全に解き放たれる”ってことではなくて、かならず「責任」がついてまわるよね。

空を飛んでいたって、食べるために、ひなを育てるために、と、何らかの「責任」を果たすために飛んでる。

自由になるためには「責任」という不自由がないと自由になれないの。

だから「責任」というものと向き合うことが必要になってくる。

”いいことを思いつく”っていうのも、「責任」のような制限がある方がうまくいくしね。

「勝手に好きにしたらいいじゃん」って言われると急に困っちゃわない?

それは「責任」を感じてるんだよね。

「この中から選びなさい」っていう方が割とスッと選べたりする。

選んだら答えがあるだろうし

「選びなさい」って言われてその中に答えがなかったら「なんだよ〜そんなのないじゃ〜ん」って人のせいにできるから選ぶのが怖くないんだよね。

好き勝手にするっていうことは、その結果を”誰のせいにもできない”ってこと。

「責任」っていうのは、誰のせいにもできないことを自分で引き受けること。

「そろそろ「責任」取りたいなぁ」とか、「その「責任」取らせてよ」なんて人も見たことないから

みんなにとってそれはやっかいなことかもしれない。

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責任感をもったのは子供の頃に家の鍵を渡された時

でも「責任」ってやつは

他の誰にも引き受けることができないコトがでてきたり

自分で決めて、自分でやらなきゃいけないコトもあったり

誰かから渡されるコトもある。

そしてたまに「責任」を取り上げられることもある。

ラグビーというスポーツは、パスを回したり受け取ったりするってことも「責任」を渡し合ってゴールに進む。

「責任」は移動するものなんだ。

だから自分で進もうと決めたとき
自分のところに回ってきたときに

どう行動するか、自分の選択や行動とどう向き合うかが大切。

意識していようが、いまいが、そういうものを果たせる人になりたいよね。

花にもそういうものがあるんだろうと思う

お誕生日おめでとう。ボクは14歳の時に”責任をもつ”ということに出会ったけど

それが「そうだった」とわかったのはずっと後だったな。

ただ、今それを思う時に、それを正解とするような答えを出すように動いてきた気もする

今したいことに”責任をもつ”ということを考えてみてください。

晴れた空の下で美しく咲く菜の花がみたい。

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