読書ノート 異邦の香り ネルヴァル「東方紀行」論  野崎 歓

 若きレヴィナスが「快楽」について綴った言葉が、ネルヴァルの旅人にはふさわしい。快楽のうちには「自己放棄」、「自己自身の喪失」、「自己の外への脱出」があり、それらはすべて「快楽の本質に内包された逃走への約束を描き出すものだ*」、と哲学者は語る。あるいはまた、「快楽の生成のうちには、何かめまいを惹き起こすようなものがある。放逸あるいは弛緩が」とも述べられている。「われわれは、みずからの存在からその実態が流出してしまったかのように感じる。酩酊しているときのように、身が軽くなり、散り散りになってしまうのだ。

 つまり哲学者によれば、快楽は状態ではなく運動なのである。「快楽は過程である。それも、存在からの脱出の過程である。その脱出には決して終わりがない。みごとに脱出を遂げたと思えたその瞬間に、失望が待っている。だからこそふたたび、次なるプロセスが生成されようとする。

 終着点をもたない、たえざる過程としての快楽。ネルヴァル的旅人とは、そうした快楽に身を貫かれた蕩児である。だからこそ、彼は本当には帰還することができない。

(*レヴィナス「逃走論」合田正人訳、「レヴィナス・コレクション」ちくま学芸文庫)

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