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一緒に暮らしたくない実母のこと最終回



父は86歳で母が83歳の1年前に私は家を出ました。
これから介護が必要なのに京都から大阪に引っ越しをしたのです。
両親、弟達の連絡先をその時初めてブロックしました。


残酷な事をしている親不孝者だと自分を責めました。
責めても根本的に解決しないのに自分を責めて苦しい思いをし、逃げたいと思うようになりました。

前回の記事⬆️

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わたしは当時仕事を二つ掛け持ちし、両親の近くに家を借り週に実家へ1回が2回になり3回になって回数が増え母の面倒を見ていました。
買い物や料理を作るのが主な役目でした。

その後、母の腰痛で介護が必要になり、デイサービスを週に2回利用し少しは楽になりましたが、定期的な病院通いや母のケアマネジャーとのやり取りなど介護に必要なことは全部わたしがやっていました。

弟達はというと、やれ!仕事が忙しいだの、やれ!子供が小さいから忙しいだという理由で中々実家にも寄りつかない始末でした。
姉弟の3人のグループLINEでも電話でも「母をお願いします!」との一点張りばかり。2、3年前、弟達と両親のこれからの事を話し合った時、確かにわたしは、離婚して1人なので両親の介護はしますと言いました。


わたしも人間なので、、、介護をしますと言ったものの限界があります。
一度姉弟のグループLINEで、本音を弟2人に言いました。
(LINEではなく直接会って話したら良いのですが、介護に逃げ越しの2人の弟達は、忙しいのを理由に実家に来ないので、姉弟のグループLINEで告げました)


「わたしも年齢には勝てなくてしんどい時もあります。これからまだまだ自分は独り身なので働かないといけません。誰もがいつどうなるかはわからないので、そこのところはわかってください。お二人も色々忙しいのはわかりますが、よろしくお願いします」という事を伝えました。


すると返って来た1人の弟の返事が、、、
「それって介護できないって事ですか?それなら、これからの事考え方を変えないといけませんね!」という内容でした。

もう1人は既読スルーでした。


わたしは、カタカタ、、、震えました。
わたしの事は、姉として、、1人の人間としてではなく、両親に必要な介護者としか見ていないようで悲しかったです。


わたしはその後、介護がしたくないわけで言っているのではなく、もっと協力をしてほしいと言ったら、、、
「そうでしたか、思い込みですみません」と言って来ましたが、その後も変わらず実家にはあまり寄り付きませんでした。


わたしは、その一件で心が停止した状態になりました。
そこから、どこかへ消えたい気持ちになり、連絡先もブロックしたのです。


その頃、離婚した旦那のお姑さんが亡くなりお葬式に子供達が揃って家に集まったので晩御飯を一緒にした時、、、
長男はわたしがいつもと違う態度に気づきみんなで話をしようと話し合いの場を持ってくれました。


初めてわたしの長年の家族に対する思いや当時の状況や親子や姉弟の関係を話して子供達は理解してくれ、家族と離れることを了解してくれました。
それでもやっぱり、長年染み付いた「家族は仲良くしなければならない」「親孝行しなければならない」という思いがあり年老いた両親を置いて離れることの罪悪感が増し、とうとう鬱状態になりました。



それでも子供達が応援してくれたお陰で鬱発症した3ヶ月後、京都を離れ現在に至ります。



あれから一年いろんな事がありました。
両親はわたしの突然の失踪をとても心配で不安になったことと思います。


人間ってそんなに思ったように変われるモノではありません。
変われないのなら環境を変えることは出来ます。
でもそれは、とても勇気のいることです。
わたしのような小心者はちょっとやそっとで勇気が出るモノではありません。この年まで(還暦前まで)できなかったのですから(笑)
そんな人間は偉そうに言う人に従う方が楽なんです。


従っていれば、文句も言われないし喧嘩にもならないと思っていましたが、それじゃ奴隷です!いつまで経っても自分の人生なんか生きられません。
それでも良いという人はそれで良いんです。
でもそれでは嫌だと思うのであれば、勇気を出して自分の意見に耳を傾けてみましょう。


それともう一つ、自分の決断は、自分だけではなく周りの人も変えるのです。世間の固定観念や自分の思い込みに惑わされないでください。
世界で唯一無二のあなたの人生はあなたが決めて良いんです。
そこから何かが変わり始め、人生そのものが一変します。
思った時がその人のタイミングです。


あなたは自分の人生に心の底から満足ですか?
YES or NO?
NOなら今からでも遅くありません。
あなたの勇気が誰かの幸せの一歩に繋がるかもしれません✨


幸せに生きることは、当たり前の人間の姿です😊



〜最後に〜
もしかしたら、、、このシリーズは終わらないで中途半端なまま終わるかもしれないなぁって書き始めた頃思いました。なぜなら、わたしだけが幸せな思いをして、家族が何も変わらないのは、ちょっと違うなぁ〜と思っていたからです。


わたしの一歩はもっと若かりし日にいつでも出来そうな事だったのになぁ〜
とずっと思い悩んでいたのも確かです。
若い頃に出来たら、両親を年老いてまで、心配や不安にさせなくて済んだのにと後悔の念がありました。そこには「親不孝」とか「人手なし」とか他人に思われたくないと言う気持ちもありました。


偶然のような必然のような突然の母の骨折があり、父と1年ぶりに会い話し、この1年間の父と母の日常のことを聞き、わたしが居なくなっても前向きに老いを受け入れ2人で過ごして行こうと思っていたことがよくわかりました。決して戻って来てなどと思っていても口には出しませんでした。
どれだけわたしがしんどかったか、我慢をしていたか、それも認めてくれた様です。

そしてわたしたちは、誰もが一緒に年老いていく人同士だと言うことも理解してくれたようです。


子供だから、親だから、そんな言葉はもう要らないのです。
みんなが自由に楽しく人生を謳歌することが幸せに繋がります。
そこには必ず「愛、思いやり」も存在しているはずです。


今まで読んでくださってありがとうございました。
皆様の人生の少しでもヒントになれば幸いです♡
ではまた〜👋



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